2018年01月02日

【御挨拶と振り返り】新年あけましておめでとうございます。



新年あけましておめでとうございます。

昨年中は沢山の方々のお世話になり、お蔭様で様々な企画を行う事が出来、またお声を掛けて頂いた企画へ参画する事ができました。御縁に恵まれた一年でした。皆様へ、厚くお礼申し上げます。今年も何卒引き続き、よろしくお願い致します。


勉強会・座談会及び講演会の常連様へはDMハガキを発送致しました。もう届いている頃かと思います。いつも『隆信公御年譜を読む』会を楽しみにして頂き、有難うございます。中西豪先生共々、御礼申し上げます。
平成30年の第一回勉強会は、1/28(日)佐賀市民活動プラザ4F、13時からです。



改めて、去年の振り返りを四つ、


、歴史シンポジウム開催『関ヶ原の戦いを再検討する−龍造寺・黒田・加藤を中心に−』@佐賀城本丸歴史館


(過去記事:http://sagasengoku.seesaa.net/article/453517883.html
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平成27年『一次史料にみる関ケ原の戦い』に衝撃を受けて以来、著者・高橋陽介氏と、関ケ原の戦いの研究を牽引されている白峰旬先生に沢山の御教示を賜り、SNSや企画を通して慶長五年の龍造寺鍋島氏及び鍋島直茂の動向について、新たな視点を提案する事ができました。結果として中西先生も従来の「鍋島直茂は事前から一貫して徳川方」説から曰「転向宣言」され、「白峰先生の御指摘を踏まえ、一次史料の研究上、鍋島直茂はどちらかというと奉行衆寄りで、静観を続けていた」旨へ修正されました。佐賀戦国研究会でも、一次史料の検討の仕方や、いわば推理の方法について沢山学ばせて頂きました。今後に活かしたいと思います。関ケ原の戦いの勉強企画も、今後また是非検討したいと思います。

★上記過去記事内で、中西先生の講演は視聴できますので、ぜひご覧下さい。


同時開催の「鍋島勝茂公武将画コンテスト」では、優勝は添田一平様(http://soedaippei.o.oo7.jp/index2.html)でした。沢山の武将画を手掛けられ知る人ぞ知る有名な絵師様ですので、応募が有った時は非常に驚きました。新たなご縁を頂きましたので、いつか必ず、添田先生に企画の武将画をお願いしたいと思っております。
実は既に「五州太守・少弐政資」について相談しております。九州の戦国史ファンには、どのような企画を想定しているかお察し頂けると思います。ちょうど「応仁の乱」が大ブームの昨今ですが、企画時期は未定です。お楽しみに!



、9月に発売された『忘却の日本史 西日本編 特別号』に「佐賀戦国研究会が選ぶ!九州武将ランキング100」を執筆させて頂きました。




(過去記事:http://sagasengoku.seesaa.net/article/452647704.html

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執筆のお声を掛けて頂き、5月頃から佐賀戦国研究会総出で、執筆に取り組みました。周りの方々のご協力のお陰もあり、無事九州の戦国武将100名分の記事を書き上げる事ができました。

写真撮影にご協力いただいた「大村純忠revivalぷろじぇくと」の前田様ご夫妻、「からつ塾」の寺村朋輝氏、また豊後大友氏に関してご一緒に資料調査して頂いた世戸口政親氏にも改めて、深く感謝申し上げます!


『忘却の日本史』は福岡の出版社・株式会社ドリームキングダム様(http://boukyaku.sub.jp/boukyaku/)が発行されている九州発の歴史雑誌で、「地元の埋もれた歴史に顕彰の光を当てる」のをコンセプトとされています。その趣旨もあり、肥前の武将枠では一般的に全く認知されていない、後藤純明公や波多興公、千葉興常公などを敢えて紹介させて頂きました。一般誌では書かれない佐賀県の武将たちです。

この『忘却の日本史 西日本編 特別号』、佐賀県立図書館において現在、郷土資料・禁帯出として新庫へ所蔵されており、足跡が形に残せました。この上無い幸いです。


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発売から日にちが経った事もあり、現在、書店で見かける機会は少なくなりましたが、特別号は株式会社ドリームキングダム様では現在も通信販売中です。ご興味の有る方はぜひ通信販売にて、ご購入下さい。




、嬉野市、肥前夢街道忍者村様の依頼で、「田原安左衛門」及びその一族の資料調査に参加中。



【事前経緯が分かる動画】











忍者村さんの「忍者不足」問題は、全国メディアで頻繁に話題になりましたね。

佐賀戦国研究会は主に主宰深川が、秋口から資料調査に参加しました。光栄なことに、忍者村様、蓮池藩田原氏末裔の八谷先生との交流と共に、「怨霊の研究」や「忍者研究」で有名な三重大学人文学部の山田雄司教授とミーティングや合同調査を行う事ができました。御縁を頂き感謝申し上げます。
そしてお忙しい所、佐賀県庁の円城寺雄介氏にも何かと相談に乗って頂いております。医療行政、ドローン活用実験、日本各地での講演、さが明治維新150年関連、NHKタイアップから、まさかの忍者に至るまで、円城寺氏、八面六臂です。



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12月には鍋島報效会様と佐賀県立図書館へ或る鍋島文庫中の資料を閲覧申請し、忍者村の御二人、山田雄司先生と共に、佐賀県立図書館の郷土資料室にて調査活動を行いました。山田先生のお陰で崩し字もさらさらと読む事ができ、大変貴重な勉強の機会を頂きました。ちなみに「関ケ原研究」で有名な白峰旬先生と、「忍者研究」で有名な山田先生は、三重大学のつながりで実は御懇意だそうで、意外な事で驚きました。



この一連で、来る2018年2月25日(日)に、佐賀県嬉野市で開催される「第三回 うれしの温泉忍者フェスタ」内シンポジウムにて、調査結果を報告致します。又別途お知らせを記載致します。



、長崎県大村市にて、大村市民有志の方々が「大村市の歴史と、大村純忠公を顕彰するシンポジウム企画」を始動。


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https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1561650213924154&id=1356872687735242


佐賀県でも龍造寺史はこれからの顕彰が待たれますが、長崎県でも長らく大村純忠公の功績が顕彰される機会は稀でした。そうした中で平成29年、行政からではなく市民レベルで自発的に、顕彰活動が企画される事になりました。趣旨に共感し、微力ながら佐賀戦国研究会一同も活動に協力させて頂きます。





『異文化の情報路 長崎街道 長崎街道は長崎から近代を発信した 
ー大村純忠・天正遣欧少年使節から長崎街道は生まれたー』

■主催:大村純忠revivalぷろじぇくと
■日時:平成30年3月25日(日) 13時〜16時 (途中休憩あり)
■場所 :市民交流プラザ プラザ大村ホール
■入場料 前売券 800円 当日券 1000円

★3講師:

筒井ガンコ堂
(雑誌「太陽」編集者。作家池波正太郎の担当編集者。佐賀新聞社で文化部長・論説委員。現在、食に関するエッセイなどを執筆。)

遠藤 薫
(出版社のぶ工房編集者。九州街道シリーズ長崎・平戸・唐津街道等執筆。)

稲富 裕和
(日本考古学協会員。新長崎学研究会代表。大村市文化財専門職員として黒丸.富の原遺跡調査。シンポジウム「謎のキリシタン大名大村純忠」等担当。


【内容と目的について】

異文化の窓口である長崎。街道は長崎から世界を発信しました。その礎を築いたのは、戦国時代の領主大村純忠です。自領の港を海外貿易港として開き、その後の長崎の繁栄を築きました。
今回大村純忠と日本初の公式使節団である天正遣欧少年使節の功績を、江戸時代の長崎街道と合わせて、新たな視点から捉えて、浮かび上がらせ顕彰します。当プロジェクト第1回目のイベントとして、大村の歴史を良く知らない方々にも、自分達や現代に通じたわかりやすい・面白い内容になっています。
佐賀県と福岡県から著名な講師をお招きして、外側からも大村を語っていただきます。
今までにない興味深い話を聞いて、大村の歴史を再認識してもらう為に、稲富裕和先生が考えてくださいました。チケット販売については来年1月末頃からを予定。販売方法についての詳細は、後日お知らせいたします。」



戦国ゲーム上、三城城の大村純忠公といえば数値上凡庸なイメージがありますが、これが実は、佐賀の史料『直茂公譜考補』から見ても、非常な戦上手だったことが評価されています。敗れた際に龍造寺隆信が最上級の怒りの表現にて「もっての外御立腹」したとあり、龍造寺軍を奇襲で乗り崩し、鮮やかに引き上げていった事は全く知られていません。ゲーム上、武力は100点中80以上あって然るべき歴戦の闘将です。結果として領土を保持し、大村藩成立の基礎を築いたその政治手腕を含め、改めてこれから再評価されるべき戦国武将です。

今回は第一弾シンポジウムとして、長崎街道を軸に歴史が紐解かれるそうで、楽しみです。


以上、御挨拶と、振り返りでした。


ひき続き後日、平成30年の企画について、詳しい告知を記載致します。





posted by 主宰 at 00:07| 佐賀 ☁| Comment(0) | 佐賀戦国研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月16日

『関ヶ原の戦いにおける龍造寺周辺の動向』中西豪



★先日8月20日『関ヶ原の戦いを再検討する−龍造寺・黒田・加藤を中心に−』@佐賀城本丸歴史館にお越し頂きました皆様、有難うございました!お蔭様で無事開催できました。白峰旬先生、高橋陽介様、及びゲストの皆様、関係者の皆様を含め、厚くお礼申し上げます。

さて、当日の中西豪先生の講義分のみ、収録公開いたします。
『関ヶ原の戦いにおける龍造寺周辺の動向』と題し、約40分のお話です。(編集済)
ぜひご視聴下さい。↓






PODCAST】  (ラジオ)

(冒頭〜10分程で分割しています。残りは順次、UPします。)

https://www.podparadise.com/Podcast/894333296


―――――


★なお、同時開催しました『鍋島勝茂公武将画コンテスト2017』は、
会場の皆様の投票の結果、添田一平様が優勝されました!おめでとうございました!優勝賞品の「妙法村正」の模造刀を、お贈りしました。

【優勝作】


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★準優勝は、上田肥前守様でした!おめでとうございました!
清酒「鍋島」セット+記念品をお贈りしました。

【準優勝作】


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★ 他、優秀賞作品含め全てのエントリー作品は、Tumblrhttp://sagasengoku.tumblr.com/)へアップしております。力作の絵が揃っています。是非ご覧下さい!




★今後の予定★

H29.11/5(日)「佐賀戦国勉強会・座談会」 @佐賀市民活動プラザ4F
「隆信公御年譜を読む』、龍造寺隆信公の生涯を追う定例勉強会です。
今年は11月で最後となります。
参加費:300円。毎回自由参加ですので、事前申し込み不要、飛び込み参加歓迎です。


以上、報告とお知らせでした。     

佐賀戦国研究会




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posted by 主宰 at 21:17| 佐賀 ☔| Comment(0) | ■佐賀の戦国史 講演会について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月18日

山口昌志先生より『関ヶ原前後の鍋島家の動向(小説を書くとしたら)』を寄稿頂きました。


★明後日はいよいよ、佐賀城本丸歴史館にて『関ケ原の戦いを再検討する』講演会・シンポジウム開催当日ですが、光栄にも、良いタイミングで山口昌志先生に、2017年8月18日付で表題の文章を寄稿頂きました!

山口先生は2014年の「九州さが大衆文学賞」において、『老虎の檻』で大賞・笹沢左保賞を受賞され、メディアで話題となりました。


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選考委員の北方謙三氏は「小説としての切り口をきちんとみせて物語を展開し、読者を最後まで引っ張っていく。」「武田家の一時期をうまく切り取って描き出した。この作者は可能性を秘めている。」と評価し、故・夏樹静子氏は「文章の安定感は抜群によかった。」、また審査委員長の森村誠一氏は「武田信虎と信玄父子という有名な権力争いをテーマに、今川家を絡ませ、同盟、裏切り、同盟といった時代背景の中で物語が進んでいく。登場人物でよかったのは、信虎に仕える相木鹿之助の存在。」「私も『老虎の檻』は今回の中ではトップの作品だと思う。」と評されています。



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「九州さが大衆文学賞」の過去5年間の大賞・笹沢左保賞受賞作品を集めた作品集(5)に収載されています。県内主要書店の棚では、現在も見かける事があります。AMAZONでは中古が高騰している様です。佐賀新聞社による詳細は、こちらのURLをご参照下さい。http://www.saga-s.co.jp/news/saga/10101/232802

歴史小説がお好きな方には是非ご一読をお勧めします。
読了後に余韻の残る、印象的な作品です。



さて、以前、白峰旬先生、水野伍貴先生、高橋陽介氏、各位から、鍋島直茂の一次史料にみる関ケ原時の動向についてご考察を寄稿頂いておりました。今もブログ内で読むことができます。
今回もその流れで、山口先生に「小説を書くとしたら」という切り口で、ご考察頂きました。



下記にご紹介します。広く読まれることを願います。


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『関ヶ原前後の鍋島家の動向(小説を書くとしたら)』  山口 昌志


私の小説の書き方は、一次史料を丹念に解釈して先行研究に勝負を挑む――、というよりは、一次史料を眺めつつ、先行研究のおいしいところをつまみ食いして、史料には見えない隙間隙間を空想で埋めながら人物像をつくって行く――、という感じで進めることが多いです。

関ヶ原前後の鍋島家の動向について、多くの史料と、皆様の丹念な研究を拝見し、私などに何か新しい解釈ができるとは到底思われませんが、小説を書く身として鍋島直茂の関ヶ原前後を描くとしたら――というところで、以下、考えてみました。

物語の発端として、まず、鍋島直茂は、徳川家康をどのくらい知っていたのだろうかと考えます。

(たぶん、あまり知らないな)

と、すぐ想像されます。
豊臣秀吉については、九州征伐や朝鮮出兵で自ら乗り込んできているので、その凄さ、実力は知っているはずですが、家康については、

(何か、東の方の強い大名)

くらいにしか思えなかったのではないでしょうか。
もちろん、鍋島家としても上方などに人を置いていたでしょうし、中西先生が指摘された、円光寺元佶(閑室元佶)という、たいへん興味深い人物などから情報を得て、鍋島家も、相当詳細に状況を把握していたはずですが、実感としては、他の多くの九州戦国人と同様、

(家康なんて知るか)

ではなかったか。

九州諸大名の関ヶ原合戦時の動向を見ると、大きなところでは黒田官兵衛と加藤清正だけが東軍ですが、この二人は東から来ていますので、家康をよく知っている。
 でもほかは、あまり家康のことは知らない。
 だから「西軍側」についた。

 ただ、私としては、九州諸大名について、単純に「西軍」「東軍」で分けるのはどうなのか、とも思います。
 というのも、鍋島家もそうでしょうが、彼らにしてみれば、徳川が勝とうが豊臣(石田三成)が勝とうが、

(別に、どっちでもいい……)

 というのが、本心だったはずだからです。
 自分の家が保てるならOK。
 勢力を拡大できるなら、なおOK。

 観応の擾乱とか、今川了俊の九州経営、それから応仁の乱などの記録を見ますと、
「おまえどっちの味方やねん」
 という動きをする諸大名は、九州だけでなく全国的に多いですが、それぞれの家や人が、それぞれ保身と勢力拡大を企んで動く、というのを丹念に見て行けば、

(意外と、不思議ではない……)

と思うのと同じ感じです。

 白峰先生が、関ヶ原合戦時期の如水と清正の動きを、直茂が疑心暗鬼の目で見ていた――と指摘されていますが、まさに、直茂だけじゃなく九州勢の大半にとって、

(何がどうなっているんだ? どうするのが正しいんだ?)

 と困っていたというのが、本心だったのではないでしょうか。

 いずれにしても、昔の距離感覚を思うと、上方や東海道の諸大名ほど、
「天下分け目の関ヶ原!」
 なんて意識は持てなかったように思われます。
 
 そんな中、興味深く思われたのは、『川角太閤記』の、「鍋島家は、実は家康に荷担していた、米を送っていた」といった記述です。

『川角太閤記』は、川角三郎右衛門という人が聞き知ったことを、元和年間に記したもの――ということで、割と信憑性の高い史料に位置付けられるようです。
高橋先生は、こちらは軍記ものなので使わない――とされていましたが、使わないのはもったいない。

 とはいえ白峰先生ほか皆様の解釈等を拝見すると、川角太閤記の記載は史実に反してしまう印象を持ちます。
 そこで私は、

(とはいえ、川角三郎右衛門が、鍋島の動向について耳にした、ということ自体は、信じられるのではないか?)

 と、割と単純に、思います。
 三郎右衛門は、正直に、

「世間にその節専ら申しあへると相聞え申候事」

 と、噂を聞いた旨書いていますので、噂があったことは、間違いないと言えましょう。
すなわち小説を書く身としては、ここで、

(噂は、関ヶ原の後、鍋島家中の人間が広めたものではないか?)

 と、想像を広げます。

 なりゆき上、西軍についてしまった鍋島家としては、赦免を勝ち取るため、あらゆる努力を払う必要があったはずです。
 九州の西軍大名でいえば、島津は、自分が負傷させた井伊直政に頼み込むという、井伊の面目を立てる作戦で赦免を勝ち取りましたし、立花宗茂のように、
「わしにやましいところは一点もない!」
 というような態度をとり続けて、ついに大名復帰に成功したところもありますが、知将鍋島直茂としては、

「実は、家康に味方していた……」

 という噂を流すことで、復帰を早めたのではないか。
 川角三郎右衛門は、筑後柳河城主田中吉政の臣だとありますから、佐賀の鍋島と近いといえば、近い。
それに田中吉政は、石田三成を捕縛するなど、関ヶ原で大きな手柄を立てて、意気揚々と九州にやって来る人ですから、噂を流す範囲としては、まず妥当な相手だといえましょう。
そうなると、三郎右衛門が、
「是は入らざる義にて御座候へども、あらまし書付け申し候」
 と、別に書かなくてもいいが書いておく、と断りを入れているのが、たいへん正直な感じがしてきます。

 もちろん、鍋島のことですから、ほかの工作もしていたでしょうし、おそらく一番は、
「赦免しないと損だぞ!」
と思わせる鍋島の実力、あと幕府の九州統治方針などから、赦免が決定されたかと思いますが、さまざまな工作の裏で、

「実はひそかにお味方をしていた……」

という噂をばらまくことも忘れなかったとすれば、やはり鍋島は相当な知者であったと思います。
(その噂が、現代のwikipediaにまで記載されるのですから、なおさら)


 ……といった想像を、改めて諸々の先行研究や一次史料に乗せてみたとき、

(大きな齟齬はないな)

と判断できますと、私の中で、小説構想が動き出します。
 
 まだまだ知識が不足しており、そもそも筆力も足りていないため、書き出せるのは当分先になりましょうが、そんな感じで、いつか鍋島(そして龍造寺)の歴史を小説にしてみたいものだと念じ続けています。


(2017.8.18)」

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山口先生、御多忙の所、有難うございました!
WEB上では「あやまり堂」さんとしても、Twitterやブログなどで対外的な活動をなさっておられますので、ご紹介しておきます。https://twitter.com/ayamarido
現在は長編小説に取り掛かられていらっしゃるとの事で、良い作品が生まれる事を楽しみにしております。


佐賀戦国研究会






posted by 主宰 at 12:32| 佐賀 ☁| Comment(0) | 佐賀戦国研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする