引き続き、沖田畷の戦い・史跡踏査会のレポートその3です。
★レポート1は、こちら:http://sagasengoku.seesaa.net/article/462785891.html
★レポート2は、こちら:http://sagasengoku.seesaa.net/article/462785891.html
★天正12年(1584)2月2日以降〜3月初旬頃、精鋭を率いて島原に上陸した島津家久公は、まず●堂崎城の周辺に布陣したとされます。寺中城(三会城)から南に約21q、車で35分です。
(●青色の城=龍造寺方。●赤色の城=有馬・島津方)。
3月13日には、家久公は●深江城と●浜の城の中間にある、●安徳城へ入城します。(『深江町郷土誌』深江町 発行、昭和46年10月 P.188)
★安徳城址 (南崩山町丁3114辺りの高台〜ゴルフ練習場の裏山辺り)
先年・天正11年(1583)4月26日に龍造寺方を離反し島津方となっています。城主は、安徳上野介純俊。(『深江町郷土誌』中「源昌寺由緒」P.184〜P.185)
3月15日には、家久公や島津軍は浜の城を包囲しています。(『島津四兄弟の九州統一戦』P.138)
【参考】「有馬には、下(しも)地方の神学校があって、身分の高い人の息子たち四十人近くの少年が在学している。有馬の先、約半里の所に有家(ありえ)があり、そこに我らは、立派な教会と高来における主要なキリシタン宗団を有している。そこから日本の一里(レーグア)近く先に進むと、堂崎の城があり、そこで有馬殿の領地は他領と隣接している。その先には、有馬殿に叛起した深江城(城主・安富下野守純泰)があり、その結果として安徳(あんどく)と呼ばれる他の城もほとんど強制的に謀叛に加担させられたが、同城(安徳城)は後になり、好機をつかんでふたたび有馬殿の麾下に戻ってきた。深江から一里近く先に島原が続くが、それは有馬に次ぐ有馬領の主要な領地で、そこの城主かつ領主(島原純豊)は、ドン・プロタジオ(有馬晴信)に反逆した首魁であり、その人物が他のすべての有馬領における謀叛の強力な原因となった。そこから先には、かつて有馬領であった三会(寺中城)、多比良(轟城)、神代(鶴亀城)、その他の諸城が続いている。」
『完訳フロイス日本史10』 中央公論新社 発行(2000年10月)P.264より。
フロイスが把握していた各城の距離感は、かなり正確です。
さて、家久公上陸地とされる堂崎の事。
<2> 堂崎八幡宮 (場所:南島原市有家町大苑489)
★【境内の裏に駐車場あり、4台程は駐車可能】
「島津勢の上陸地点については諸説区々(大江浦、須川、有家、堂崎説あり)で、有明海の潮の満ち干を考えれば、満潮の時は何処へでも上陸可能であるが、干潮の時は堂崎以外は接岸不可能である。堂崎上陸説は記録がなく(口碑のみ)定かではないが、堂崎城が最前線であったことは確実で、堂崎八幡宮に伝わる「社伝」には、島津家久は『戦敗を恐れ且つ衆寡敵し難きを知り、深夜陣外に出、海水を浴し、単騎八幡の社頭に至り武運隆盛を祈る。」とあり、堂崎に陣していることが分かる。(陣之内の地名、これより出たものであろう。)また龍造寺勢の先手2,000余人は堂崎境に進出し、山の上に十文字の旗が押立てられたのを見て『さては嶋津より援兵有りと思い』云々の記録(大日本史)は、堂崎に島津勢の着陣を裏付けるものである。」『有家町郷土誌』有家町 発行 (昭和56年3月)P.100〜P.101より。
★堂崎八幡宮は、島原の知られざる「島津家久公ゆかりの地」ではないでしょうか。深夜に単騎で参詣したという逸話もドラマティックです。
★大山格先生も、甲冑姿にて堂崎八幡宮へ御参りを遂げられました。
大勝の後に島津家久公が社殿を増築し尊敬の誠を示したというのも、深い話だと思います。というのは当時、有馬晴信公は敬虔なキリシタンで、島原半島の広範囲で寺社仏閣を破壊していました。その荒廃を家久公や島津家中は目の当たりにし、心を痛めていたであろう事が『上井覚兼日記』からも窺われ、キリシタンが多く馴染みもない土地に上陸し、有馬氏を守るため、つまり島津家の家風「他国之覚を守るため」、先の見えない戦に挑もうとする中、神仏の御加護を求める気持ちは切実であったと思われます。想像を超える大勝利を掴んだ後、家久公が堂崎八幡宮に寄進を行ったことは、キリスト教が盛んな島原の風土に対して、八幡大菩薩の冥加を訴えるメッセージであり、パフォーマンスであったのかもしれません。
★左:中西豪先生、中:橋本靖明先生、右:大山格先生。
堂崎八幡宮にて。
― レポートCへ続きます ―
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