2018年11月27日

★沖田畷の戦い・史跡踏査会レポートB【2018.10/27】


引き続き、沖田畷の戦い・史跡踏査会のレポートその3です。

★レポート1は、こちら:http://sagasengoku.seesaa.net/article/462785891.html
★レポート2は、こちら:http://sagasengoku.seesaa.net/article/462785891.html



★天正12年(1584)2月2日以降〜3月初旬頃、精鋭を率いて島原に上陸した島津家久公は、まず堂崎城の周辺に布陣したとされます。寺中城(三会城)から南に約21q、車で35分です。

(青色の城=龍造寺方。赤色の城=有馬・島津方)。

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3月13日には、家久公は深江城と浜の城の中間にある、安徳城へ入城します。(『深江町郷土誌』深江町 発行、昭和46年10月 P.188)


★安徳城址 (南崩山町丁3114辺りの高台〜ゴルフ練習場の裏山辺り)
先年・天正11年(1583)4月26日に龍造寺方を離反し島津方となっています。城主は、安徳上野介純俊。(『深江町郷土誌』中「源昌寺由緒」P.184〜P.185)
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3月15日には、家久公や島津軍は浜の城を包囲しています。(『島津四兄弟の九州統一戦』P.138)


【参考】「有馬には、下(しも)地方の神学校があって、身分の高い人の息子たち四十人近くの少年が在学している。有馬の先、約半里の所に有家(ありえ)があり、そこに我らは、立派な教会と高来における主要なキリシタン宗団を有している。そこから日本の一里(レーグア)近く先に進むと、堂崎の城があり、そこで有馬殿の領地は他領と隣接している。その先には、有馬殿に叛起した深江城(城主・安富下野守純泰)があり、その結果として安徳(あんどく)と呼ばれる他の城もほとんど強制的に謀叛に加担させられたが、同城(安徳城)は後になり、好機をつかんでふたたび有馬殿の麾下に戻ってきた。深江から一里近く先に島原が続くが、それは有馬に次ぐ有馬領の主要な領地で、そこの城主かつ領主(島原純豊)は、ドン・プロタジオ(有馬晴信)に反逆した首魁であり、その人物が他のすべての有馬領における謀叛の強力な原因となった。そこから先には、かつて有馬領であった三会(寺中城)、多比良(轟城)、神代(鶴亀城)、その他の諸城が続いている。」
『完訳フロイス日本史10』 中央公論新社 発行(2000年10月)P.264より。
フロイスが把握していた各城の距離感は、かなり正確です。


さて、家久公上陸地とされる堂崎の事。


<2> 堂崎八幡宮 (場所:南島原市有家町大苑489)

★【境内の裏に駐車場あり、4台程は駐車可能】


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「島津勢の上陸地点については諸説区々(大江浦、須川、有家、堂崎説あり)で、有明海の潮の満ち干を考えれば、満潮の時は何処へでも上陸可能であるが、干潮の時は堂崎以外は接岸不可能である。堂崎上陸説は記録がなく(口碑のみ)定かではないが、堂崎城が最前線であったことは確実で、堂崎八幡宮に伝わる「社伝」には、島津家久は『戦敗を恐れ且つ衆寡敵し難きを知り、深夜陣外に出、海水を浴し、単騎八幡の社頭に至り武運隆盛を祈る。」とあり、堂崎に陣していることが分かる。(陣之内の地名、これより出たものであろう。)また龍造寺勢の先手2,000余人は堂崎境に進出し、山の上に十文字の旗が押立てられたのを見て『さては嶋津より援兵有りと思い』云々の記録(大日本史)は、堂崎に島津勢の着陣を裏付けるものである。」『有家町郷土誌』有家町 発行 (昭和56年3月)P.100〜P.101より。


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★堂崎八幡宮は、島原の知られざる「島津家久公ゆかりの地」ではないでしょうか。深夜に単騎で参詣したという逸話もドラマティックです。

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★大山格先生も、甲冑姿にて堂崎八幡宮へ御参りを遂げられました。


大勝の後に島津家久公が社殿を増築し尊敬の誠を示したというのも、深い話だと思います。というのは当時、有馬晴信公は敬虔なキリシタンで、島原半島の広範囲で寺社仏閣を破壊していました。その荒廃を家久公や島津家中は目の当たりにし、心を痛めていたであろう事が『上井覚兼日記』からも窺われ、キリシタンが多く馴染みもない土地に上陸し、有馬氏を守るため、つまり島津家の家風「他国之覚を守るため」、先の見えない戦に挑もうとする中、神仏の御加護を求める気持ちは切実であったと思われます。想像を超える大勝利を掴んだ後、家久公が堂崎八幡宮に寄進を行ったことは、キリスト教が盛んな島原の風土に対して、八幡大菩薩の冥加を訴えるメッセージであり、パフォーマンスであったのかもしれません。

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★左:中西豪先生、中:橋本靖明先生、右:大山格先生。 

堂崎八幡宮にて。





― レポートCへ続きます ―






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2018年11月19日

★沖田畷の戦い・史跡踏査会レポートA【2018.10/27】




引き続き、沖田畷の戦い・史跡踏査会のレポートその2です。

★前回のレポート1は、こちら:http://sagasengoku.seesaa.net/article/462785891.html




10/27(土) 

嬉野市の入船荘を出発し、鹿島市→多良岳オレンジ街道→ 諫早湾干拓堤防道路→島原半島へ。(車で約1.5時間)

天正12年(1584)3月18日、龍造寺隆信・政家父子が率いる57,000余騎もの大軍の兵船が、須古城の南方の海岸・龍王崎より出航。

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(中西豪先生の甲冑姿です。編集によって口髭を付けたり、目の表情などを通説どおりの隆信公風に加工しています。御大将出陣ノ図)


順風に乗って3月20日前後に神代(こうじろ)へ着港、軍勢も上陸、布陣します。軍議の後、3月21日には南下し、寺中城(三会城)に入城。龍造寺隆信は、21日から23日まで寺中城に駐屯します。(『隆信公御年譜』・『北肥戦誌』)



★軍議【島原半島の見取り図】 青色の城=沖田畷合戦当時、龍造寺方であった城。赤色の城=有馬・島津方の城です。

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神代湊には、龍造寺方の武将・神代貴茂の居城(海城)、鶴亀城(神代城)がありました。

ちなみに佐賀郡の神代(くましろ)氏と島原の神代(こうじろ)氏は同祖説もありますが、ひとまず、別の氏族です。


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この神代湊からおよそ13.5km南下、車で20分程走ると、寺中城に至ります。



<1> 寺中城(三会城)跡(場所:島原市中野町丙1469-3)

★【駐車場なし、道路脇に駐車スペースあり】

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川に挟まれた小高い所が城址です。海辺に屹立した城であった事がイメージできます。

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島原市による解説板。おそらく近年設置されたものと見え、新しいです。

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城址には登る事が出来ます。ここに物見の櫓など拵えれば、4キロほどしか離れていない森岳方面(沖田畷付近)まで眺望できたかもしれません。3月21日から23日までここに滞在した隆信公は、決戦まで何を思い過ごしたのでしょう。

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■左:東統禅先生(福田寺御住職)、右:大山格先生。 寺中城址にて。

島津方の大山先生も、いつのまにか赤い戦装束姿に。沖田畷を前に、臨戦態勢となられました。



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★『上井覚兼日記』によると、3月16日には、龍造寺軍と戦うための先手の軍が既に島原半島へ渡海済。3月18日、島津忠長一行が渡海。3月21日、島津又四郎(島津彰久)と他数名が渡海。同日、島原半島にて有馬晴信を支援中(龍造寺方・島原純豊の籠る浜の城を攻囲中)の島津家久、島津忠長、平田、新納、各位の辛労への慰問も兼ねて、上井覚兼の船十二段帆が渡海している。(『有明町史 上巻』「伊勢守日記」)


★『島津四兄弟の九州統一戦』新名一仁著 星海社 発行(2017.11月)P.139によると、3/21〜3/23までの龍造寺軍の迅速な動きを、島津方は掴めていなかったという。P.140「島原包囲中の有馬渡海衆が、龍造寺勢本隊の到着に気づいたのは、決戦前日のことだったのであり、(肥後)佐敷からの援軍は間に合わなかったのである。」







― レポートBへ続きます ―


【PODCAST】
H25. 3/23、佐賀の戦国史ー龍造寺鍋島伝ー 第一回講演会 @佐賀城本丸歴史館 /「世評における龍造寺氏・鍋島氏」より抜粋。講師:中西豪先生。







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★沖田畷の戦い・史跡踏査会レポート@【2018.10/27】



2018.10/27に行いました、沖田畷の戦い・史跡踏査会のレポートです。

★参加者一覧:

大山 格 先生 (東京) / 橋本 靖明 先生 (東京) / 中西 豪 先生 (福岡) /
岡本 澄雄 先生(佐賀) / 東 統禅 先生(佐賀) / 松本 博之 氏(佐賀)/
深川 直也 (佐戦研)/ 田島 光(佐戦研) / 井上 敏生(佐戦研) /


橋本先生は会津龍造寺家の御子孫であり、大山先生は島津家家臣の御子孫、そして東先生は曹洞宗の古刹の御住職です。

なんと今回は、龍造寺家・島津家ゆかりの方々と合同で、禅僧様まで同道頂いての、沖田畷出陣となりました。滅多にない御縁です。


★10/26(金)は柳川→江上八院古戦場→川上左京亮忠堅公墓所を巡りました。

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場所は、佐賀県鳥栖市山浦町です。(参考ブログ:http://www.geocities.jp/w_clc_w/7mensou/contents/ink/ink-026.html

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沖田畷の戦いにおいて、龍造寺隆信公を討ち取った事で知られる川上左京亮公ですが、墓は実は鹿児島県ではなく、佐賀県鳥栖市にあります。天正14(1586)年7月、島津軍による勝尾城攻めの際に、筑紫春門(晴門とも書く)と一騎打ちに及び、双方戦死を遂げ当地に葬られたとされています。


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★川上左京亮公墓所にて、左から大山先生、中西先生、橋本先生。

地元の人間の車と誘導がないと中々訪問することのできない様な、郊外の山野の中に有ります。あいにくの雨でしたが、皆で御参りできて幸いでした。


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★10/26の夜は、嬉野温泉・入船荘さんへ皆で宿泊し、宴会でした。入船荘さんは肥前夢街道忍者村さんと同系列で、美肌の湯で知られる嬉野でも5本の指に入る泉質で有名な温泉宿です。ほっこりできました。部屋に準備されている嬉野茶も非常に美味しかったです。

この宴会には、御多忙の所、円城寺雄介さんにもご参加頂きました。


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円城寺さんはその名の通り、龍造寺四天王・円城寺美濃守信胤のご子孫です。佐賀県庁職員ですが、全国を飛び回ってご活躍されています。所用で翌日の沖田畷へは出陣叶わず、非常に残念そうでした。


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■左から、岡本澄雄先生(小城郷土史研究会・副会長)、東統禅先生(福田寺御住職)、橋本靖明先生。



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■右手前は、松本博之氏。サガテレビ職員さんで、実は須古鍋島家中・手明鑓の御子孫です。

2016年「サガテレビ春フェス」において、企画の一角にお声掛けを頂き、それ以来御懇意にして頂いております。

【保存版】『今山合戦』 中西豪先生、2016.サガテレビ春フェス内解説


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さて、大山先生と中西先生は、『歴史群像』ムックにて、九州の戦国史関連の執筆をされています。これを読んで育ったという九州の歴史ファンも多いのでは!

お二人と沖田畷古戦場を旅できるなんて、これほどの読者冥利は有りません。感無量です。


■『戦国九州三国志 −島津・大友・龍造寺の戦いー』(歴史群像ムック)2008.5月 発行
言うまでもない有名な本ですが、九州戦国史を知る上での必携書です。

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★著者一覧:

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鉄板中の鉄板な一冊ですね。
桐野作人先生、大山先生、中西先生、また、故・吉永正春先生のお名前も見えます。


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■ 『全国版 戦国精強家臣団 −勇将・猛将・烈将伝ー』(歴史群像ムック)2008.3月 発行


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★著者一覧:

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改めて見ると、黒田基樹先生、平山優先生、樋口隆晴先生、大山格先生、中西豪先生・・・ 
錚々たる面々ですね。

もちろん九州の戦国武将の紹介も充実しており、こちらも座右の一冊です。


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★上記2冊の執筆陣である、中西豪先生(左)大山格先生(右)。

佐賀大学にて撮影。





― レポートAへ続きます―





posted by 主宰 at 00:05| 佐賀 ☁| Comment(0) | 佐賀戦国研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする