2020年01月08日

★2020年 佐賀戦国研究会の予定(勉強会・講演会など)


明けましておめでとうございます。
旧年もお世話になりました。新年も宜しくお願いします!
当会も、8年目となります。

さて、下記の通り、佐賀戦国研究会の企画のお知らせを致します。


―――――――――――――――――――――――


2020年 佐賀戦国勉強・座談会 はじめ


★全二回:『文禄慶長の役・概論』

講師:中西 豪

歴史家・文禄慶長役研究者。論文「朝鮮側史料に見る倭城−その観察と理解の実相」中西豪/ 『朝鮮学報』125 / 1987年10月.
他、学研プラス『歴史群像』にて文禄慶長役関連の執筆記事多数

龍造寺鍋島氏の動きを含む、争乱の全体像について概説をして頂きます。 



■ 第一回:令和2年 1月19日(日) 13:00 〜 16:30
場所:佐賀市市民活動プラザ(白山) 4階
(※この日のみ、メディアの取材が入ります。)


■ 第二回:令和2年 3月1日(日) 13:00 〜 16:30
場所:佐賀市市民活動プラザ(白山) 4階


■ 参加費:各 300円  
  
■事前予約・連絡は不要です!


―――――――――――――――――――――――


【その他の予定】

■佐賀戦国研究会 代表 深川が、テレビおよびラジオ番組にゲスト出演予定です。情報開示されましたら告知します。
(佐賀戦国研究会の日頃の活動や忍者調査について)
 


―――――――――――――――――――――――



■出版記念講演会「江上八院の戦い ― 鍋島直茂 VS 立花宗茂 ―」

 講師:中西豪

日本史史料研究会研究選書14 『最新研究 江上八院の戦い』中西 豪・白峰 旬 共著(http://www13.plala.or.jp/t-ikoma/page032.html#sensho14

日時:2020.5/10(日)14:00〜17:00
会場:佐賀城本丸歴史館(内諾済)
後援:日本史史料研究会(確定)、佐賀新聞(申請中)、サガテレビ(申請中)
参加費:500円

事前予約・申込不要。


―――――――――――――――――――――――

【2020年春、発行予定】


■中西豪執筆『歴史群像』2020.4月号「龍造寺隆信(後編)」

■深川直也執筆『忘却の日本史』21号「肥前千葉氏と戦国前夜(後編)」



―――――――――――――――――――――――


★お問合わせは、MAIL:sagasengoku@live.jp まで。



皆様の新年のご多幸をお祈りいたします!





――――――――――――――――――

【コラム】


大山格先生が度々推薦図書として挙げられているのが、歴史哲学の名著『歴史とは何か』E.H.カー著(清水幾太郎 訳)岩波新書。
これに関連して、下記の言葉を紹介します。

「過去の記録が保存されるのは、未来の世代のためであります。オランダの歴史家ホイジンハはこう書いております。『歴史的思惟はいつも目的論的なものである。』サー・チャールズ・スノーはラザフォードについて次のように申しました。『すべての科学者と同じように、彼は、その意味を殆ど考えもせずに、未来というものを深く感じていた。』私の考えでは、優れた歴史家たちは、意識すると否とに拘らず、未来というものを深く感じているものです。『なぜ』という問題とは別に、歴史家はまた『どこへ』という問題を提出するものなのであります。」

/ E.H.カー 『歴史とは何か』P.159〜160


「精神は歴史叙述的意識の中にあって思想として自らに透るとすれは、歴史叙述を嚮導する価値は思想の価値でなくてはならぬ。そしてまさにこの故に、歴史を規定する原理は決していわゆる『感情価値』と呼ばれるものであることはできない。これは生命であって、思想ではない。そしてこの生命が思想形式によって未だつつまれない前に表現され描写されたならば、それは詩であって、歴史ではない。」

/ クローチェ『歴史の理論と歴史』P.49


歴史関係の情報の発信側となる場合、避けて通れないのが、歴史哲学の問題。
歴史に「哲学」という言葉が付随する事からも、文字通りなのですが、情報の受信側(読み手・聞き手)は、発信者の情報内容と共に、自覚的または無自覚的にその発信者の「思想」を、発言内容から透かして、ながめます。

このひとは「なぜ」こんな事を言うのだろう。「なぜ」こんな姿勢なのだろう。「どこへ」向って何がしたいのだろう。

その発言が、個人の心情を投影した感情的なものなのか、思想形式によって包まれたものなのか。

自己顕示のため?
商売のため?
承認欲求のため?
政治的信条のため?
ルサンチマン?


佐賀戦国研究会の活動としては、割と単純で、今のままでは戦国時代の龍造寺氏鍋島氏に関して、50年後にそれほど史実研究が進んでいないのではないかという問題のためです。50年後に我々は居ないと思いますが、龍造寺氏鍋島氏に関して詳しく知りたいと思う、いわば我々のような奇特な若者が現れた場合、我々のように困って欲しくないと思うのです。50年後の、我々みたいな(きっと)少数の若者に向けて、「後世への遺物」を残していきたい。

主催者は「純然たる文学性の発露である」と嘯いておりますが、我々の活動に価値が有るのか、無いのかは、今後みなさまに評価をお任せし、荷が重いと動けませんので、「毀誉は他人の主張」として、精進していきたいと思います。



★座右の一冊、おすすめします。




佐賀戦国研究会 代表 深川 直也





2019-11-03 13.11.52.jpg









posted by 主宰 at 01:55| 佐賀 ☔| Comment(0) | 佐賀戦国研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月17日

★お知らせ★2020年 佐賀戦国研究会


早いもので、師走も半ばを過ぎました。

令和2年初めの予定についての告知です。

2019-11-03 13.11.52.jpg


★全二回:『文禄慶長の役・概論』


講師:中西 豪

歴史家・文禄慶長役研究者。論文「朝鮮側史料に見る倭城−その観察と理解の実相」中西豪/ 『朝鮮学報』125 / 1987年10月.
他、学研プラス『歴史群像』にて文禄慶長役関連の執筆記事多数。



龍造寺鍋島氏の動きを含む、争乱の全体像について概説をして頂きます。


■ 第一回:令和2年 1月19日(日) 13:00 〜 16:30

■ 第二回:令和2年 3月1日(日) 13:00 〜 16:30


■場所:佐賀市市民活動プラザ(白山) 4階
(アクセス:http://www.tsunasaga.jp/plaza/access.html

■ 参加費:各 300円  

  
■事前予約・連絡は不要です!飛び込み参加歓迎。




【その他】


■歴史雑誌『忘却の日本史』 佐賀戦国研究会 代表 深川 連載執筆

VOL.15 「佐賀の忍者・山伏・天狗」

VOL.16 「肥前田原氏の歴史 −豊前の名門・田原氏の末族が、龍造寺隆信を支えていた?−」

VOL.17〜19 「神代勝利」 3部作

VOL.20 「肥前千葉氏と戦国前夜」

各号、九州内の主要書店にて販売中です。
(無い場合は、積文館や明林堂など、書店にて注文可能)





★『加藤清正、鍋島直茂』 中西豪

佐賀戦国勉強会座談会(2016.12.17)過去の収録分です。
ぜひ一度ご視聴下さい!






以上、どうぞよろしくお願いします。


佐賀戦国研究会




CIMG1857.JPG







posted by 主宰 at 22:33| 佐賀 ☔| Comment(0) | 佐賀戦国研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月05日

★東松浦表の錯乱について(一次史料雑記・備忘)



「戦国時代の鶴田家文書、後藤家文書、有浦文書、横岳家文書をざっと読んで分かったこと。


▼大友宗麟の言った「松浦表錯乱」が良く分かる。時々刻々、後藤・鶴田両家・波多の各氏が、同盟と手切れを繰り返しながら争い、大勢力には巧みな外交策で立場を確保している。誰がどう動くのか、訳が分からない印象。

一方、想像以上に大友氏の東松浦表介入が見て取れる。これは筑前支配に軸をおいた介入で、博多〜糸島から唐津は陸海で近い。


▼大村純忠の動きが「外側から」見えてこないか、東松浦の史料を探っていたのだが、大村は、唐津〜東松浦方面の紛争に、ほぼ介入していないと言って良いようだ。


この理由は『新編大村市史』を読むと分かるが、純忠の前半生、伯父系の庶家(純種や純重など)が林立・割拠しており強固な統一権力を得ていない。従って遠隔地の問題に介入する余裕はない。そしてやはり『佐賀県史料集成』で見えるのは、後藤との確執。大村の名前は後藤関係の文書に見えることが多い。(弓箭した、延引した、人質を籠めた・・)


▼今山合戦の時の、鶴田越中守前の二股外交の謎。たしかに大友方として大友派諸士と連動しているが、一方で鍋島信昌(直茂)とは戦争の最中に、味方同士としか読み取れない文面の書状を複数交わしている。どちらも一次史料に見える史実である。
一瞬鍋島信昌は「戦が負けそうなので保身のため鶴田と内通していたのか?」と疑ったが、信昌の文面を読んでも、大友は敵と明言してあり、鶴田は龍造寺の味方であるという前提の意思疎通が見える。しかし鶴田も、大友が圧勝する見込みの所を、何故龍造寺方と通じているのか?


→私見、上位権力の要請に従う=完全臣従ではないため、当時の豪族や国衆は、味方と通じながらも、敵とも通じていたということは良くあったのではないかと推測。白黒つけない処世術。


▼後藤貴明が悩み苦しんでいる書状。平戸と同盟は固いが、龍造寺にも良い顔をしないと、攻めて来そうだ。誓約は身命を賭して守るべきものであるが、このたび遵守できていない辛さ、忸怩たる思いである。いっそ切腹しても良いと私は思っている、しかし今は、なすべき事をなさねばならないので、恥をしのぶ。と言うような旨。戦国領主のストレスが満面に出た書状。ただ、こんな時代なので、受け取り手も「さてさて、本心か?」と冷笑したものかもしれない。当時の正邪は、良く分からない。


▼三根郡の横岳氏は、もうこれは完全な大友家臣。鉄砲や兵粮の支給を受けている。あとかなり忠実に、大友家の指令に従って活動しており、度々褒賞されている。交流関係も、肥前の田舎にいながら錚々たる大友家重臣や文官と音信しており、年末年始の進物も見える。「沈香」を横岳家はどうやって入手していたのだろう。


―――――――


有馬仙岩(晴純)→波多家中宛「御札披見候、御室豊州に被差遣候節、大小被下置之由に候、殊に藤童殿仮名並御字拝領、千秋万歳目出度候、従後室被加冠日(一字欠字)御書被持候之条、白地大慶此時に候、猶期後喜可略候恐々謹言 七月十一日 仙岩 判」(年欠)

/「松浦叢書」『北波多村史 資料編』H19.


興味深い文書を見つけた。御室は波多つぼね(真芳)で、夫死没後に一時期、波多家の政治外交を仕切っていた女性。豊州は大友家。藤童は波多親の幼名。この文書が、大友氏から波多藤童丸が、仮名と一字を拝領したという根拠史料か。
仮名は他文書から察して「太郎次郎」、一字は「鎮」。波多鎮のこと。


▼有馬仙岩が大喜びしている。この点においても、外山幹夫先生説(『大館常興日記』天文8年7月3日条により有馬仙岩は肥前守護職を得ていた事が判明)に対しての、佐伯弘次先生からの疑義(同日記に仙岩が肥前守護とあるのは検討を要する)が想起される。守護職なら有馬家通字「純」を自ら下賜すればよいはず。わざわざ豊州に打診しているのは、有馬晴純が大友家を上位権力と認めていた事になるだろう。


▼波多つぼね(真芳)は『大曲記』や『厳木町史 中巻』に依れば前多久氏の姫である。藤童丸は、波多家の跡取りとして有馬家から養子に入った男児。西肥前の覇王・有馬仙岩の意のままかと思いきや、藤童丸の仮名と諱一字は、大友家の威光を拝している。これをどう考えるべきか。


▼『北波多村史 資料編』の戦国期の一次史料群を見て行くと、波多氏は、対馬の宗氏とは基本的に非常に親密。大内氏、大友氏、毛利氏に対しては時宜を見て従属・鞍替えし、巧みに世渡りしている。波多鎮は平戸松浦氏とは基調として仲がよろしくない様子。後年、龍造寺隆信の攻勢に屈伏。


▼145号波多鎮→有浦四郎左「平戸へ永後可為儀絶のよしを被書載候て肝要候」(年欠) ⇔ ■146号 (平戸)松浦隆信・鎮信→ 鶴田因幡守「一、於波多鎮、為某、向後入魂有間敷事」 あとは、天正13〜14年の波多鎮書状に、波多家の所領であった壱岐島を、松浦氏に奪われたままである事への恨みが記載有。」







↑ 『忘却の日本史』第16号 「大友宗麟と毛利氏包囲網」 /

大友宗麟の覇業がよく分かります。お薦めの一冊です。龍造寺隆信の側近「肥前田原氏」についても収載です。全国に読まれることを願います。






佐賀戦国研究会 深川 記










posted by 主宰 at 23:50| 佐賀 ☔| Comment(0) | 佐賀戦国研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする