2020年07月02日

★(2)『御家聞書 天』に見る、鍋島家の関ヶ原大乱と江上八院の戦い(2020.7/1)




まえがきと、本文(1)はこちら:http://sagasengoku.seesaa.net/article/475972672.html



※読めなかった字は、■としています。



『御家聞書 天』(2)


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一、直茂公、石井正札(原文ママ)を召て仰らるるは、「汝は小野和泉と知音が知たると云」仰られて曰「和泉守が方へ書音(使は大江太郎左衛門)を通じて云うべし、今度内府家康公の仰を蒙り、加賀守父子其表へ出勢せらるる処也、大勢と云、大将と云、立花家を討亡さん事掌の内にあり、然と云ども、勇の誉有和泉殿を討取ん事、国の宝を失うに似たり。願は我に降参して来り給へかし、御命を申免、其上本知行に加増して申与へ侍るべし。急御降参の返事承度侍る■、兼ての智音なれば、御痛しく存る也、筑州の地に此方の兵を出して後は、御降参有と云ども詮有べからず。其上城の門戸を開き玉う事も有まじく侯」と云遣ければ、和泉守よりは、忿(怒の意味)を含たる返事来る。

直茂公聞召「案の内なり」と玉いて、ひしひしと出陣の御用意、備定有り。先陣・鍋島主水、二番・諫早石見守、三番・後藤左衛門、此外備段々多し、其外本陣左右の備あり、後陣あり。夫小荷駄は川を不渡と也、馬場一手千八百人は筑後と肥前との境なる寺井、江のき、つつの渡しえ遣さる、含られて曰く「立花少智あり、和泉守武功の者なれば、出陣の■をうかがい、舟にて寺井に渡て、佐賀の城に寄るか、我が後口に寄る事もあらんか、然る時は待■て、舟より上らんとする処を海へ追入、一人も不残討取べし。又、敵渡事なくば舟を揃、我が下知を可待、戦半なる時に渡させて、思いもよらぬ方より横を入させば、一定味方の勝軍たるべし。相かまいて下知なきに進事なかれ。万に一つ、味方負軍たらば、八ノ院迠も飛騨守旗を進、城との間遠くならんずるぞ、然処へ汝が人数を渡させて柳川の城を乗取、早く放火すべし。城の火を見て、敵後口に廻りたると驚て飛騨守引返さん事無疑、引かば付■て、水田の細縄手を越ん所にて、一人も不残討取べし」と、委細に謀を廻し馬場を寺井に被遣。

直茂公勝茂公、両将にて肥前と筑後の境なる豆津の渡をし筑州え越給う。前日より江口・豆津の百姓どもを柳川領と久留米領の境に付置、「柳川より敵出ると見は早く告よ」と言含て遣さる、されども、敵一人も不出は、河を難なく十二段の備を不乱越けると也。

一、川を越と等く、直茂公は騎馬十騎召具し玉いて、先陣に加り押給う。其時成富兵庫、諸陣へ触て曰く「直茂公は敵の模様見給んために、先陣に加て押玉う。兼て軍法の如く一人も私に御供すべからず」と、備頭え申触ると也。




(3)へ続く (→http://sagasengoku.seesaa.net/article/476039208.html




佐賀戦国研究会 深川 記










posted by 主宰 at 01:13| 佐賀 ☔| Comment(0) | ■関ヶ原の戦い 〜龍造寺鍋島軍の動き〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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