2016年08月25日

佐賀戦国勉強会・座談会レポート@【H28.8/21】


常連様、また遠路近県より御参加頂きました皆様、有難うございました。
概容は全体共有させて頂きたいと思います。おさらいにお使い下さい。あくまで概容です。

★お知らせですが、年内にあと2回、勉強会座談会を開催することに致します。
テーマは関ヶ原合戦です。今回の内容をさらに従来の基本的な所から見ていきたいと思います。
今回御参加の皆様で、次回御参加の方は、必ず今回配布したレジュメと史料集をご持参下さい。
次回から参加の方には、新規にお渡し致します。
予定として、10月、12月です。追って詳細告知します。

★参加頂き沢山のご教授を頂きました、別府大学の白峰旬先生、高橋陽介さん、中西豪先生、有難うございました! また翌日に古文書を見せて頂きました、郷土史研究家・岡本澄雄先生、有難うございました!

今後ともどうぞ、宜しくお願い致します。

レポートは分けてUPしていきます。

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佐賀戦国勉強会・座談会レポート@

「関ヶ原の戦いと黒田如水」 高橋 陽介 氏 発表分

・一次史料で見ていくと、吉川広家はまさか毛利輝元が奉行方に担がれると思っておらず、取り急ぎ家康に奉行衆決起について家康に通報の書状を出した。(7月13日)

・書状を見る限り、黒田長政は吉川広家・徳川家康間の取次をしているだけであり、長政が広家を東軍に寝返らせるべく説得したというのは『黒田家譜』の創作と高橋氏は考えている。書状を見る限り、広家はもともと家康に異心を抱いていない。

・★以下「黒田如水はもともと東軍寄りの立場だった」と仮定して恣意的に文書を読んでみた。(高橋氏)

・如水は「内府ちかひの条々」を受け取って、すぐに毛利家で一番話しの通じる吉川広家へ書状を送った。内府につくか奉行方につくかは分明にせず、上方に捕らわれた人質をとにかく奉行方へ渡さず、広家・輝元様にて預かって欲しいと願い出ている。

・【補足】たしかに如水の書状を追うと、徳川方か奉行方か、どっちとも読めるような「しっぽをつかませない」文章を送っている。(白峰旬先生談)

・如水は反家康勢力の蜂起を事前に予測していたと思われる。一方長岡幽斎は書状で「今回の騒動を全く予想だにしていなかった」と言っており興味深い。かつ合戦になれば、家康が勝つだろうと如水は予測しており、その旨吉川広家にも私信を伝えていた。

・吉川広家と黒田如水の間には強い連帯意識があり、関ヶ原のあと、広家が黒田を恨んでいたというのは誤り。吉川と黒田の友好関係を語った、広家本人の元和3年の言質あり。

・如水と長政が吉川広家を寝返らせた説は『黒田家譜』と『黒田長政遺言状』が根拠であり、後世の創作と考えるべき。同時に10月4日の如水→広家書状で、「九州を勢力を統一し、上方へ攻め上がって徳川か石田方か勝った方と合戦して天下を取ろうと思っていたのに残念だ」というのは間違った解釈。書状の前後の文脈を読み合わせれば、如水は家康と連絡を取り合って、豊臣政権下の一領主として合戦に参加しようとしていると読める。

・高橋氏は『黒田政遺言状』は『黒田家譜』をもとに後世に創作された偽文書であると考えている。なぜならば同文書は黒田騒動に関する予測しえない情報を含み、関ヶ原合戦に関する記述は江戸時代に成立した軍記物の影響を色濃く受けているため。その内容は一次史料から知り得る事実と反している。

以上。中西先生講義分のAへ続く。




posted by 主宰 at 00:26| 佐賀 ☔| Comment(0) | 佐賀戦国研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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