2015年11月27日

【島原純豊の意地、鍋島直茂の豪胆】

 
 天正6年、有馬氏と同時に島原氏も、龍造寺氏に従属を申し出ます。

しかし中々約束通りに島原氏が人質を出さないため、鍋島直茂
(この頃は鍋島信生と名乗っていますが、便宜上直茂で統一します)は自ら島原城へ、交渉へ向かいます。

迎えた島原純豊は大幕を張り、左右に兵を2・3百並べて直茂と対面。明らかな威嚇。
一触即発の危険な状況。直茂は人質を求めますが、純豊は返答せず。


直茂の命が危うい状況に、堪らず水町信定(直茂家臣)が大幕を打ち上げ乱入。
眼を見出し拳を握り、座敷に憮然と座ります。

これに倣って直茂のお供衆100余が幕際にどっと押し寄り、勇気を見せながら一面に座り込む。

一連の光景を見ていた純豊、表情を和やかに崩し、初めて返答。息子を人質に渡す事になりました。


この話を聴き、龍造寺隆信公は大いに感動。

(直茂公譜考補ニより)


――
絵になる話ですね。島原純豊が見せた武将の意地も天晴です。

posted by 主宰 at 01:19| 佐賀 ☔| Comment(0) | 佐賀戦国研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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