2015年11月23日

【鍋島直茂、花の美を語る】



ある時、多布施の隠居所にて薄色の牡丹の花を生けられた。

一日館内に置かれて居たが、出仕して来た者で特にこの花の美を言う者は無かった。

そんな時、直茂公は、家臣へ「花の見事なる理由を存じているか。」と問うた。

特に言及する家臣もなく「ただ、花は見事に御座いますな」という月並みの返答。

この一幕に、直茂公は、納得されぬ御様子で

「諸々の良さを見よ。例えば金銀的な値段、例えば花を生けた者の苦労造作。それらは皆、心に残るものだ。」

「花は左様なことには構わず、五色に色づくことに専心し、色香ひとすじの道である。それは綺麗なものだ。花の見事なる所は、多分にこの点だ。花も、生長して花を咲かせるには、苦労する。拝見するには、その苦労は思わず、綺麗なる事ばかりだ。」

「それについて思えば、戦などは、国郡の望みばかりに専心し、実体知らず、無理に欲に耽るのは悪しき事だ。ただ名を惜しみ御家を守り、続かせるための合戦は、仕損じても子孫の心に、必ず残る。」

と仰せになられた。



高伝寺住職にて世に名の知れた禅僧、普鉄和尚が、後でこの話を聞き、

「直茂公は、さては、悟りの領域の人で在られる」と仰った。

後日、和尚は直茂公にお会いした際、この事に触れて語られた。



//  直茂公譜考補附録十一、御壁書并御物語【一】 簡潔訳
posted by 主宰 at 03:10| 佐賀 ☔| Comment(0) | ■歴史から何を学ぶか (論評集) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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