2015年08月31日

【NBCラジオ佐賀】スキッピーレポートに登場しました。

本日8月31日、9:30〜9:35 NBCラジオ佐賀の番組内、スキッピーレポートの中継放送に出てきました。

大事な時に遅刻した佐賀の戦国武将を探している』と急遽打診があり、ネタが無いので苦慮の末、憚りながら、【関ヶ原合戦の時の鍋島勝茂公】に触れました。

聴かれた方からツッコミがあったように、遅刻とはベクトルが違います。ガードトークした通りです。

さてここから、手短に、深い話。

藩の公式記録、直茂公譜考補や、勝茂公譜考補(関ヶ原前後は、当サイトの別項目に訳文をまとめてあります)では、基本的に父:鍋島直茂は徳川家康に味方する意思です。息子、勝茂に、徳川に加勢するよう言い含めますが、結果として西軍に加担。伏見城〜安濃津城攻めで軍功を挙げ、関ヶ原の手前、北伊勢の野代という地点で動きを止めます。

・勝茂は元々徳川方:東軍と見れば、上杉征伐のため関東方面へ行き遅れたなら、これは東軍参加としては遅刻とも言える。本日はラジオで、勝茂公譜考補に記載のある、「異説によれば」の部分を敢えて紹介しました。黒田長政に一緒に関東に行こうと誘われたのを、諸々の理由ありと言う事で一緒にいかなかった。その間に石田三成の兄、正澄が近江愛智川に関所を構築して、足止めを食うんですね。それで引き返し西軍に参加を余儀なくされた。

・勝茂は一貫して西軍であったと見るなら、遅刻なんて言う余地はありません。敢えて西軍に参加し、結果負け組となってしまった。勝茂は後年、後継の光茂に、豊臣恩顧の者として西軍に参加して忠勤をつくすべきだと思っていた旨語ったという記録もあります。


つまり、遅刻説(あくまで憚りながら)は、もともと東軍であったと考える見方なのです。

「参加が遅かったじゃないか」と言われるのと、「元々西軍なんだから」と言われるのでは随分、鍋島藩の立場に差がありますね。・・こう考えると「あん時、関東行きに遅れてすいませんでした!」というのは、決して悪いロジックではありません。直茂公譜考補・勝茂公譜考補にはこういうロジックが見え隠れする。

龍造寺史・鍋島史の魅力は、深いです。興味が尽きません。


posted by 主宰 at 23:12| 佐賀 ☔| Comment(0) | 佐賀戦国研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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