2013年09月08日

戦国時代とキリスト教






司馬(遼太郎):
『ともかくふしぎだと思っています。戦国時代に(国内のキリスト教信者数が)三十万人というのは、当時の人口から考えれば大変な数ですね。それが秀吉から江戸初期にかけて禁制になったというのは、ひとつには最初に日本に上陸したイエスズ会が、非常に攻撃的、戦闘的な精神をもっていた。それがいやがられたんじゃないかと思います。お寺やお宮を焼いてしまえというぐらいの勢いになっていくから、秀吉としてはやはりコツンとくる。しかも傍証がいろいろ出てきて、たとえば長崎県の大村はカトリック領になった。日本国は外国領になるのかと秀吉は思います。そのうえ、土佐の港に漂着したスペイン船の船長がフランシスコ会の影響を受けてイエスズ会に敵対意識をもっていて、スペインはフランシスコ会の神父を派遣して日本を占領するつもりだということを言ったものだから、秀吉は断固としてキリシタン禁制に踏み切った。あとの徳川幕府も、もし憲法があったとしたら憲法第一条にキリシタン禁制をうたっただろうと思われるほどのつよい禁制をしくわけです。それほど厳しい禁制をしく必要があったのだろうか。

 カトリックが江戸時代に三十万人でいいから自由に信仰が許されていたら世界の情報がいろいろ入ってきたんじゃないかということを、二十年ほど前に遠藤周作さんに話したことがあるんです。しかし遠藤さんは大いなる人ですな、「そんなことしてたら日本はスペインに占領されてしまう」とおっしゃった(笑)。カトリックの遠藤さんをしてそんなことを言わしめるほど、とくに当時のフランシスコ会は、日本に先鞭をつけたイエズス会に敵対感情を持っていたんですね。またイエズス会はイエズス会で、陰謀とか政治的に動くのがクセだった。』


井上(ひさし):
『クセですね、たしかに。イエズス会はとかく情報商社のように動くクセがあります(笑)。』


司馬:
『いまでもスペイン人が「あの人はジェスイットです」というと、その人は銀行の頭取であっても相当裏のある人だと受け取られるそうですね。だから秀吉の感覚は正しかったかもしれない。』


井上:
『日本をカトリック国、要するに植民地にしようとした証拠もありますし。やはりあのころカトリックのなかには、自分たちの教えを信じない者は馬鹿だという傾向があったと思いますね。』


司馬:
『フランシスコ・ザビエルは私にとって好きな人ですけれども、それでも鹿児島の坊津に上陸したあとで地に跪いて祈りますね、この国を大天使ミカエルだったかな―に捧げます、と。要するに、ぼくらは捧げられてしまったんです(笑)。』


井上:
『まことに余計なお世話です(笑)。』


司馬:
『中近東をのぞく東洋人は世界を相対的にとらえるんですが、西洋人はキリスト教以来、絶対主義というものを持っていますから、どうしてもそうなってしまうんですね。ザビエルさんといえども、その枠からははみ出せない。』




「国家・宗教・日本人」 司馬遼太郎・井上ひさし 講談社文庫 刊 より引用
(初出誌「現代」宗教と日本人 1995年6月号)



posted by 主宰 at 16:34| 佐賀 ☔| Comment(0) | ■歴史から何を学ぶか (論評集) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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