2013年08月30日

中西豪氏による沖田畷論




↑佐賀の歴史ファンには、鉄板の一冊。当講演会の講師を務めて頂いております中西豪先生著。この本が無ければ佐賀の戦国史講演会は発生しなかったでしょう。まさに、必携の教科書。

――

『この(沖田畷)合戦の再現イラストによくあるのが、連合軍の柴垣の前を川か堀のように泥田が広がり、その中の道はまさに土橋の如く描かれているもの。そこを突破しようとする兵は次々と撃ち倒され、「対岸」では後続の竜造寺軍が為すすべもなく手をこまねいている。

 そのような地形であるなら、どうして竜造寺軍は鉄炮隊を最前線に出して援護射撃しなかったのだろうか。フロイスの観察を信じれば、竜造寺軍の鉄炮の方が射程も長かったはず。「柴垣」程度の障害物に銃を架托して撃ってくる島津軍の銃手の頭を下げさせるのは容易ではなかったのか。

 天正三年(一五七五年)の長篠合戦での「鉄炮三段撃ち神話」ほどではないにしろ、「沖田畷神話」とでもいうべきものが出来上がってしまっているのではないだろうか。同時代の証言であるフロイス『日本史』には、通説と大きく食い違う戦闘経過が記されている。それも勘案しながら、一つの仮説を立ててみたい。

 そもそも「沖田畷」とは、実際には沼沢が散在して大軍の展開が困難、といった程度の地形ではなかっただろうか。

 竜造寺軍は、当然この地形を知っていたと思われる。』




『史伝鍋島直茂「葉隠の名将」』中西豪 著 学研M文庫・学習研究社 刊 (2002年)より






posted by 主宰 at 03:49| 佐賀 ☔| Comment(0) | ■佐賀の戦国史 講演会について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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