2018年05月01日

【天正14年4月17日付】鍋島直茂書状についての考察【島津氏へ従属中】




先日のブログ(http://sagasengoku.seesaa.net/article/459013034.html)中でもご紹介した、天正14年4月17日付・鍋島直茂から成富十右衛門(成富兵庫茂安)への書状について、さらに考察を加えます。


『佐賀県近世史料第一編第一巻』中『直茂公譜考補五乾』には、沖田畷合戦で龍造寺隆信が戦死した直後から、豊臣秀吉の九州征伐に至るまでの佐賀藩の「正史」が記載されています。

大局としては、

■敗戦した龍造寺家では、当主・龍造寺政家の依願と家中の同意をもって、鍋島直茂が国政を取り仕切り始める。


■その後秋月種実の仲介によって島津家と和平。


■天正12年6月下旬から、筑後の奪還を狙い出兵してきた大友軍と交戦。


■同年9月には成富十右衛門が小早川隆景のもとへ派遣され、成富は上洛し豊臣秀吉に拝謁。龍造寺氏が豊臣秀吉に恭順の意を示す。


■天正13年、筑後で大友軍と龍造寺軍の交戦が続き、10月に戸次道雪が陣没。


■天正14年春、成富十右衛門が安芸国広島へ赴き、小早川隆景と面会、その後大坂へ上り安国寺恵瓊を頼み秀吉へ謁見。隆景から龍造寺政家宛2月23日付書状に「九州の義は前回お送りした書状の通り、静謐の儀、京都が御下知されるので、安心されて良い。」とある。3月初旬に龍造寺家から、千布相右衛門を大坂へ人質に出す。


■同年4月6日、龍造寺家から秀島進士左衛門を、島津氏へ人質に差し出す。


■同年7月、高橋紹運の籠る岩屋城攻めへ、島津方として龍造寺家から龍造寺家晴、江上家種、後藤家信、田尻鑑種、西牟田家親が参陣。


■同年秋、秀吉の九州征伐の動きが具体化する中、龍造寺家から島津家へ「義絶」を伝える。



★通説となっている上記編纂史料の内容ですが、特徴として、沖田畷合戦後、島津氏と龍造寺氏が具体的にどういう連携・連帯をしたのか、また筑後の支配権について島津氏がどういう対応であったのかが、殆ど記載されていません。おそらく敗戦・従属の屈辱と、往年からの筑後国領有の自意識が故に、島津氏との具体的な交渉記録が省かれているのではないかと考えられます。


この辺り、島津氏側からの視点で研究され、沖田畷合戦後の龍造寺家の動向がよく分かる良著があります。『島津四兄弟の九州統一戦』新名一仁 著 星海社 発行(2017年11月)P.142以降。Twitterで度々お薦めしていますが、改めて九州の戦国史ファンには、ご購読をお薦めします。

佐賀側の史料では見えてこない、島津氏側から見た龍造寺氏の動きがよく分かり、示唆に富む内容です。筑後領について、鍋島直茂が島津氏に対し強気の主張をしている事も興味深く、新知見でした。


また、ご存知の方はご存知かもしれませんが、高橋紹運以下が玉砕を遂げた岩屋城の戦いには、島津方として龍造寺軍も加わっていました。



さて、上記の情勢を踏まえまして、

ここから天正14年4月17日付・鍋島直茂から成富十右衛門(成富兵庫茂安)宛書状の考察です。


上記内容から分かるように、龍造寺氏は島津氏に従属しながら、豊臣政権へ恭順の意を伝え、毛利氏、小早川隆景を奏者として連絡を取り合っていました。



【原文】


三月廿二、案住小兵へ伝書、卯月十七日到着、披見、得其意候、
一、薩衆豊州入就彼是、急速質人之儀被申候条、此内申拵、此方存分之儀候、神文銘々被相調候上、種実人質此方へ被召置、四月六日、秀嶋進士左衛門被差出候、於此上二雖難有異儀存候、于今も種々違目之義、無正躰候条、熟談之一着無之候、如此相違於増長者、此方地盤無緩候、手前聊気遣被申間敷候矣、
一、爲質人、千惣被差登候、定而可爲参着候間、弥安国寺可爲御指南之由、千惣引合細砕申渡、其方事は早々下向待申候、其元様子被聞召度候由候条、申事候、
一、廣門・紹運事、人質取替、聢被申談候間、種実・廣門間之儀、弥隔心之躰、可有推量候矣、
一、隈部親永父子各別二て、親泰事は長野要害へ楯籠候処、従薩被差続候、永事者(→親が脱字と思われる。親永事者)、親類尽同心を以、多久河内江引入候、親人は自豊州少々加勢候由候へ共、難儀之通申来候、就其肥後国衆なとへも雑説無心事候由、申散候矣、
一、対馬波多親被仰談到平戸被差懸候、数度親へ異見雖被申候、如此候条、従是も寄々衆被差出、ひう、はい方両城切崩、敵弐百餘討取、被得大利事、
一、右之趣細書相認、芸州迄差遣候ツ、自然遅参もやと、任幸便、又々申遣候、其外筑後境目なと少も無替儀候、爲存知候、恐々謹言、
 卯月十七日  信生 (御判)
   成十  万いる  旅所   」


佐賀県史料集成 第二十六巻 『有馬雑記餘事』 P.268〜269


【簡潔意訳】:

鍋島直茂曰く「薩摩軍は豊後へ出兵するにあたり、当方に速やかに人質を出すよう伝えて来た。そのため、こちらも準備や起請文を調え、秋月種実から人質が当方へ送られて来た事でもあるので、4月6日、秀島を島津氏へ人質として差し送った。ここまでしたからには島津殿に異存はないだろう。島津氏との話し合いは、今まで意見の相違があり、落着していない。島津氏が増長するのなら、当方にも固い覚悟がある。この件に関しては、十右衛門、気遣いは無用じゃ。

一、上方への人質としては千布惣右衛門を送った。到着したら安国寺恵瓊殿の御指南の件を千布へ細かく申し聞かせて、その方は早々に佐賀へ帰ってきて欲しい。またその方の今の状況を手紙で知らせてくれ。

一、筑紫広門と高橋紹運との間で人質交換の相談がされている事は、反島津となる筑紫広門と、親島津の秋月種実との関係が、こじれるという事だ。推して知るべしという所だ。

一、隈部父子の事だが、隈部親泰は長野の砦に籠城し島津氏へ反抗している。隈部親永は龍造寺家中みなの同意のもと、多久の河内に匿い、保護している。隈部親人は大友氏から少々加勢をもらっているようだが、島津氏への抵抗が困難な状況だと知らせが来ている。肥後国衆たちの動向にも根拠のない噂があり、不安定だ。

一、唐津の波多親が、平戸松浦氏へ合戦を仕掛けるという。数度、制止をしたのだが、この如くである。我々からも、最寄りの軍を加勢に出した。そして日宇、早岐の両城を切り崩し、敵200余を討ち取り、大勝利を得た。

一、これらの詳細は書状に認め、毛利氏へ差し出した。もし到着が遅れるといけないので、この様にそなたへ書状を書いて送った次第だ。その他は、筑後境目の事などは少しも変わりは無い。上記お知らせしておく。

(天正14年)4月17日、鍋島信生(直茂)  
成富十右衛門へ  」



【考察】


▼島津氏が「豊州入」豊後侵攻を計画するにあたって、龍造寺氏に人質を差し出すよう求めた事が分かる。つまりこの時、関係性として龍造寺氏は島津氏に従属していた。

▼島津氏に龍造寺氏が人質を送るにあたり、秋月種実が仲介の骨折りをしていた。島津氏の要請について龍造寺氏がスムーズに従うように、秋月氏から龍造寺氏へ人質まで送っていたことが分かる。仲介者・秋月氏の人質を召し置いた事で、龍造寺氏が島津氏に人質を送ることになった点は重要である。

※ここの辺りからも、龍造寺氏は島津氏に対し、強気の姿勢であったことが考察できる。同時に『島津四兄弟の九州統一戦』で検証された、反大友・親島津の秋月氏の暗躍ぶりが窺える。

▼沖田畷敗戦後、島津氏に実質従属した龍造寺氏だが、「種々違目之義、無正躰候条、熟談之一着無之候」島津氏との話し合いの中では意見の相違があり、良好な関係ではなかった。

▼当該書状は、鍋島直茂が、秋月種実、高橋紹運、筑紫広門、隈部親永、隈部親泰まど、沢山の同時代の武将について一度に言及しており、その点で興味深い。

▼のちに肥後国衆一揆で誅罰を蒙る隈部親永は、この時期、龍造寺氏によって佐賀県多久市に匿われていた事が分かる。息子の親泰は島津氏に対し、出城に籠って抵抗を試みており、『島津四兄弟の九州統一戦』P151、新名一仁氏曰くの「(天正14年10月、田尻鑑種や黒木実久から肥後の島津氏に対し、筑後への出兵の要請がなされたのは)龍造寺氏が大友勢を排除するために仕掛けた策略と見える 」「龍造寺政家が『幕下』に入るとまで言って島津氏との和平を急いだのは、島津氏を大友氏との戦いに引きずり込むためであろう」との考察をベースとして考えると、父の隈部親永のみの身柄を保護し、息子の親泰が肥後で島津氏に抵抗を試みている点は、龍造寺氏が隈部氏を陰で支援することで、島津氏の北上を遅らせようと図ったのではないか。
この時、抵抗する隈部氏へ若干大友氏から加勢がきていた点も興味深い。大友氏も龍造寺氏もこの時期、島津氏の北上を遅らせることを図っていたとも考えられる。


▼佐賀側では殆ど知られていない、佐世保市での「井手平城の戦い」だが、この書状内容と、先日ブログに紹介した波多親の書状から、「従是も寄々衆被差出、ひう、はい方両城切崩」はつまり、「井手平城の戦い」と比定できる。※この点は、郷土史上新たな指摘かと思われる。

さらに、長崎県側の解説では、「大村氏・波多氏・有田氏連合 VS 平戸松浦氏の領地争い」とされる所、波多氏への加勢として龍造寺軍も参加していた事が判明する。※この点も一次史料を根拠とした、新たな指摘となるかと思う。そして、早岐の城を井手平城と比定すると、同時に日宇のどこかの城も、落城していた事が分かる。200名余の戦死者がでている事で、大規模な軍事衝突であった事が分かる。



以上です。



佐賀戦国研究会










posted by 主宰 at 01:08| 佐賀 ☀| Comment(0) | 佐賀戦国研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする