2018年05月20日

★佐賀戦国研究会とは


当会から各行政機関・学術機関へお問合せや申請を行う際に、「インターネットで、当会の活動履歴を確認させて頂きます」と、担当者様から言われる事があります。そういった時のために、また、佐賀戦国研究会とはどういう会なのか、来歴を公開しておきます。

(2018年11月7日現在)



【印刷用】「佐賀戦国研究会について」詳細PDF資料はこちらからダウンロードをお願いします:佐賀戦国研究会について1.pdf


【印刷用】佐賀戦国研究会の規約は、こちらからダウンロードをお願いします。:佐賀戦国研究会規約.pdf





★佐賀戦国研究会について


■発足は2012年。民間社会人による歴史サークル兼研究会。全国的に戦国ブームの昨今、佐賀の戦国武将(龍造寺隆信、鍋島直茂)がゲームの影響で全国的に人気になる中、肝心の佐賀では幕末明治の紹介ばかりで、戦国時代のPRは全くなされない。その為「無いなら自分たちで顕彰しよう」という趣旨で有志市民で活動開始。講師に学研の雑誌「歴史群像」へ寄稿中の歴史家、中西豪先生を迎え、第一回講演会を平成25年3月に開催。157名もの地元歴史ファン及び、遠くは関東・中部から龍造寺鍋島ファンが佐賀城本丸に集まり、新聞にも大きく取り上げられる。



■目的と理念:


一、佐賀の戦国時代における文化や人物等を研究し、魅力を発掘・配信する。            
一、学術性とともに創造性を重視する。                                        
一、市民の自発的企画である事。自由度が担保される事。結果公共に資する事。



■講演会開催履歴: 
・ 第一回 「世評における龍造寺氏・鍋島氏」 H25. 3/23 (157名)
・ 番外篇 「1から始める龍造寺史」 H25. 8/4 (105名)
・ 第ニ回  「沖田畷に見る戦国軍事史研究の現在」 H25. 11/16 (85名)
・ 第三回 「救世主・鍋島直茂」 H26. 4/12 (84名)
・ 第四回 「救世主・鍋島直茂(統一政権下のサバイバル)」 H26. 8/24 (92名)
・ 第五回 「質疑応答会 〜龍造寺鍋島氏から日本の戦国時代」 H26.12/27 (33名)
・ 第六回 「肥前千葉氏と戦国前夜」 H27.10/4 (75名)
・ 第七回 特別編「戊辰会津戦争の真実 −会津・薩摩・佐賀の関わり―」 H28.5/29 (156名)
・ 第八回 「関ケ原の戦いを再検討する−龍造寺・黒田・加藤を中心に−」 H29.8/20 (140名)
・ 第九回 「幕末維新を再検討する −西郷、江藤、会津龍造寺 −」H30.10/28 佐賀大学にて。(70名)
★2019年初夏 第二回 関ヶ原企画


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※ 大阪市主催、「大坂の陣400年天下一祭」に連動参加。豊臣政権と鍋島政権は密接に関わるため。
※ 歴史雑誌『忘却の日本史 西日本編 特別号』に「佐賀戦国研究会が選ぶ九州の武将ランキング100」執筆。

※ 嬉野市の肥前夢街道忍者村からの委託により、嬉野市の忍者調査事業に参加。嬉野市史上に忍者を発見。

※ 『そろそろ本当の忍者の話をしよう』(佐藤強志 編著 / 三重大学 教授 山田雄司 監修)株式会社ギャンビット 発行(2018.9/1)中、
 代表 深川が「蓮池藩と佐賀藩」を執筆。
※ 歴史雑誌『忘却の日本史』Vol.15(2018.7月)に、代表 深川が「佐賀の忍者・山伏・天狗」を執筆。
※ 歴史雑誌『忘却の日本史』Vol.16(2018.11月)に、代表 深川が「肥前田原氏の歴史」を執筆。


■過去に後援頂いた自治体や企業:
佐賀県立佐賀城本丸歴史館、小城市教育委員会、千葉市教育委員会、佐賀新聞、西日本新聞、サガテレビ、雑誌『歴史群像』、雑誌『忘却の日本史』、千葉氏顕彰会、大坂の陣400年天下一祭、十六世紀史研究学会、株式会社歴史と文化の研究所、勝永座談会、東海古城研究会



★佐賀市民活動プラザでの勉強会・座談会を定例会とし、ゲストを招き佐賀城本丸歴史館にて、講演会や座談企画を開催中。佐賀県の戦国史を主軸に日本の戦国史を勉強・紹介する趣旨。広告は若者にPRできるようにアニメ風のグラフィックチラシ。また、ミドルメディアとなる事を志向し、ItunesのPodcast、及びYoutubeで講演会や勉強会の音源を配信中。(Itunes Store のPodcastで佐賀の戦国史で検索すると無料購読可能。)


★YOUTUBEのアカウント:https://www.youtube.com/user/Cogito907


「幕末維新を再検討する −西郷、江藤、会津龍造寺ー」全動画


★Twitter: https://twitter.com/sagasengoku

★チラシデザインのアーカイブス(Tumblr):http://sagasengoku.tumblr.com/

★(理念) グローバリズムの日本かつ人口減、地方経済衰微で、古い郷土史はインパクトが薄れる傾向。
 行政による佐賀の戦国史のPRや顕彰不足を補いつつ、市民レベルで歴史に学び、自発的かつ自由に、カジュアルに活動する企画。


■今後の予定

メンバーそれぞれ仕事をしながら、できる範囲で無理なく活動。 
※NPO法人化を目指しています。


2018年5月27日、7/15、9/16、11/4、定例の「佐賀戦国勉強会・座談会 −隆信公御年譜を読むー」佐賀市市民活動プラザ(白山)4F(または7F)にて開催中。(申込不要・自由参加)


2018年9月8日〜9月9日 「第二回 国際忍者学会」(佐賀県嬉野市で開催)にて、嬉野市忍者調査の結果と「佐賀藩における忍者」について、佐賀戦国研究会 代表 深川直也 (国際忍者学会 会員)が、基調講演を仰せつかりました。
詳細HP:https://intlninja.com/convention/

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★次回、2018年10月28日、佐賀大学経済学部講義棟にて「幕末維新を再検討する −西郷、江藤、会津龍造寺ー」と題した歴史シンポジウムを開催します!(プレスリリース:https://www.value-press.com/pressrelease/205086

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佐賀戦国研究会 代表 深川 直也
(佐賀市在住。佐賀西高等学校卒、関西大学文学部国語国文学科卒。)

Mail: sagasengoku@live.jp


佐賀県立図書館の郷土室にて、いくつかの研究報告書が閲覧可能です。

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posted by 主宰 at 22:10| 佐賀 ☔| Comment(0) | 佐賀戦国研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月12日

★歴史企画『幕末維新を再検討する ー西郷、江藤、会津龍造寺ー』



「肥前さが幕末維新博覧会」への応援宣言と、歴史シンポジウムの告知です! (7/3 更新)

チラシデザインが公開となりました。クリックすると拡大して表示されます。 



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『幕末維新を再検討する ー西郷、江藤、会津龍造寺ー』


■日時:2018年10月28日(日) 11:00〜16:00 (昼食休憩、小休憩をはさむ)

■参加費:1,000円   事前予約不要

■会場:佐賀大学 経済学部講義棟 第四講義室 


■講師:大山格(東京) 橋本靖明(東京) 長南政義(福岡) 中西豪(福岡)

■ゲスト:円城寺雄介(佐賀県庁職員)

■主催:佐賀戦国研究会

★「肥前さが幕末維新博覧会」サポーター。


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■後援:佐賀新聞 / サガテレビ / 学研プラス『歴史群像』


■内容: 各講師の講演後、パネルディスカッションと、質疑応答、フリートーク。最後に、円城寺氏から、今後の佐賀県主催の企画のPR。


【各講師プロフィール】


・大山格

著述業、歴史研究家。東京都。日本大学大学院文学研究科博士前期課程史学専攻修了。
歴史ライターとして雑誌『歴史群像』をはじめ各歴史雑誌に寄稿、得意分野は幕末維新史および戦国史。戦史と政局面の両側面からの執筆記事が多い。2016年2月から東京藝術学舎 外苑キャンパスにおいて一般教養講座『明治天皇の御遊行』を開講済。2018年3月には企画展『平成30年遊就館特別展 靖国神社御創立百五十年展 前編 ―幕末から御創建―』の監修を務めた。
(Blog:https://ameblo.jp/itaru-ohyama/



・橋本 靖明

防衛省防衛研究所 政策研究部長。東京都。会津に身柄を預けられた龍造寺伯庵の末裔。金沢大学卒業、慶応義塾大学大学院修了(法学修士)、蘭ライデン大学博士候補、宇宙政策委員会委員(2013〜2014年)、国際宇宙法学会理事(2013〜2016年)。2016年5月、佐賀城本丸歴史館にて『会津龍造寺家の歴史』について講演。 刀剣に関しても造詣が深い。
http://www.nids.mod.go.jp/research/profile/anzen/02-hashimoto.html

 
・長南 政義

戦史研究家。福岡県。論文に『史料紹介 陸軍大将松川敏胤の手帳および日誌 −日露戦争前夜の参謀本部と大正期の日本陸軍−』『國學院法政論叢』第30輯(國學院大學大学院、2009年)など多数。著書に『新史料による日露戦争陸戦史 覆される通説』(並木書房、2015年)』『日露戦争第三軍関係史料集 大庭二郎日記・井上幾太郎日記で見る旅順・奉天戦』(国書刊行会、2014年)『坂の上の雲の5つの疑問』(並木書房、2011年、共著)がある。熊本市主催講演会・桜美林大学などで講師を務める。 近年は雑誌『忘却の日本史』や『歴史群像』等へ執筆多数。
https://researchmap.jp/read0095254/


・中西 豪

歴史研究家。福岡県。九州大学文学部卒業、専攻は朝鮮史。研究テーマは壬辰戦争(所謂豊臣秀吉の朝鮮侵略戦争)で、学術論文としては「朝鮮側史料に見る倭城‐その理解と実相‐」(『朝鮮學報』第125輯)がある。歴史ライターとしては筑紫君磐井の乱から西南戦争、東漢光武帝の中興事業から朝鮮戦争に亙る日本・東アジア諸地域の軍事関連記事を雑誌『歴史群像』に多数執筆。著書に『史伝 鍋島直茂―「葉隠」の名将』(学研M文庫) ・『実録 花の慶次 武将列伝』 (歴史群像シリーズ・ムック)、監修書に『戦国武器甲冑事典』(ユニバーサルパブリシング)がある。(『歴史群像』執筆タイトルデータベース
 

・円城寺 雄介

佐賀県庁職員。救急医療のICT変革、ドクターヘリ導入で知られる。総務省地域情報化アドバイザー、また災害時に備えたドローン活用実験やIoTの実証を行う。先祖は龍造寺隆信に使えた龍造寺四天王、円城寺信胤。最近は真田丸トークショーなどNHK大河ドラマと連携した企画の佐賀県誘致も精力的に行っており、その多岐に渡る活躍は全国的に注目されている。TBS「夢の扉+」へ出演、また「日本を元気にする88人」(『Forbes Japan』、2017年4月号)に選出される。著書に『県庁そろそろクビですか?』(小学館・2016年2月刊)がある。
(Huffpost Japan 記事:https://www.huffingtonpost.jp/patriots/saga-enjoji-yusuke_b_10366888.html




【開催趣旨】


佐賀藩は知性を閉ざさず、積極的に「外の世界や情報」を学び、取り入れることで、幕末明治維新をリードしてきました。その姿勢に学び、あえて外部・遠方から専門家・講師をお招きし、時代の見識を深めようとする市民企画です。(非営利です。)

佐賀藩中心の「内側」の歴史は、佐賀市城内で開催中の、幕末維新博と関連企画で学べます!
まずは維新博をご覧頂く事をおすすめし、当企画では佐賀藩の外の歴史から、幕末明治維新期の動静を学び、客観的な再検討を試みます。


佐賀内外、多数の歴史ファンの皆様のお越しをお待ちしております!
お車でお越しの方は、チラシ裏面に記載の、佐賀大学周辺の有料駐車場を確認頂き、ご利用下さい。




佐賀戦国研究会




★会場の地図:(クリックすると拡大できます)

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★ 地図:(会場は、佐賀大学の、”経済学部4号館”です)

[ここに地図が表示されます]















posted by 主宰 at 01:32| 佐賀 ☔| Comment(0) | ■佐賀の戦国史 講演会について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月01日

【天正14年4月17日付】鍋島直茂書状についての考察【島津氏へ従属中】




先日のブログ(http://sagasengoku.seesaa.net/article/459013034.html)中でもご紹介した、天正14年4月17日付・鍋島直茂から成富十右衛門(成富兵庫茂安)への書状について、さらに考察を加えます。


『佐賀県近世史料第一編第一巻』中『直茂公譜考補五乾』には、沖田畷合戦で龍造寺隆信が戦死した直後から、豊臣秀吉の九州征伐に至るまでの佐賀藩の「正史」が記載されています。

大局としては、

■敗戦した龍造寺家では、当主・龍造寺政家の依願と家中の同意をもって、鍋島直茂が国政を取り仕切り始める。


■その後秋月種実の仲介によって島津家と和平。


■天正12年6月下旬から、筑後の奪還を狙い出兵してきた大友軍と交戦。


■同年9月には成富十右衛門が小早川隆景のもとへ派遣され、成富は上洛し豊臣秀吉に拝謁。龍造寺氏が豊臣秀吉に恭順の意を示す。


■天正13年、筑後で大友軍と龍造寺軍の交戦が続き、10月に戸次道雪が陣没。


■天正14年春、成富十右衛門が安芸国広島へ赴き、小早川隆景と面会、その後大坂へ上り安国寺恵瓊を頼み秀吉へ謁見。隆景から龍造寺政家宛2月23日付書状に「九州の義は前回お送りした書状の通り、静謐の儀、京都が御下知されるので、安心されて良い。」とある。3月初旬に龍造寺家から、千布相右衛門を大坂へ人質に出す。


■同年4月6日、龍造寺家から秀島進士左衛門を、島津氏へ人質に差し出す。


■同年7月、高橋紹運の籠る岩屋城攻めへ、島津方として龍造寺家から龍造寺家晴、江上家種、後藤家信、田尻鑑種、西牟田家親が参陣。


■同年秋、秀吉の九州征伐の動きが具体化する中、龍造寺家から島津家へ「義絶」を伝える。



★通説となっている上記編纂史料の内容ですが、特徴として、沖田畷合戦後、島津氏と龍造寺氏が具体的にどういう連携・連帯をしたのか、また筑後の支配権について島津氏がどういう対応であったのかが、殆ど記載されていません。おそらく敗戦・従属の屈辱と、往年からの筑後国領有の自意識が故に、島津氏との具体的な交渉記録が省かれているのではないかと考えられます。


この辺り、島津氏側からの視点で研究され、沖田畷合戦後の龍造寺家の動向がよく分かる良著があります。『島津四兄弟の九州統一戦』新名一仁 著 星海社 発行(2017年11月)P.142以降。Twitterで度々お薦めしていますが、改めて九州の戦国史ファンには、ご購読をお薦めします。

佐賀側の史料では見えてこない、島津氏側から見た龍造寺氏の動きがよく分かり、示唆に富む内容です。筑後領について、鍋島直茂が島津氏に対し強気の主張をしている事も興味深く、新知見でした。


また、ご存知の方はご存知かもしれませんが、高橋紹運以下が玉砕を遂げた岩屋城の戦いには、島津方として龍造寺軍も加わっていました。



さて、上記の情勢を踏まえまして、

ここから天正14年4月17日付・鍋島直茂から成富十右衛門(成富兵庫茂安)宛書状の考察です。


上記内容から分かるように、龍造寺氏は島津氏に従属しながら、豊臣政権へ恭順の意を伝え、毛利氏、小早川隆景を奏者として連絡を取り合っていました。



【原文】


三月廿二、案住小兵へ伝書、卯月十七日到着、披見、得其意候、
一、薩衆豊州入就彼是、急速質人之儀被申候条、此内申拵、此方存分之儀候、神文銘々被相調候上、種実人質此方へ被召置、四月六日、秀嶋進士左衛門被差出候、於此上二雖難有異儀存候、于今も種々違目之義、無正躰候条、熟談之一着無之候、如此相違於増長者、此方地盤無緩候、手前聊気遣被申間敷候矣、
一、爲質人、千惣被差登候、定而可爲参着候間、弥安国寺可爲御指南之由、千惣引合細砕申渡、其方事は早々下向待申候、其元様子被聞召度候由候条、申事候、
一、廣門・紹運事、人質取替、聢被申談候間、種実・廣門間之儀、弥隔心之躰、可有推量候矣、
一、隈部親永父子各別二て、親泰事は長野要害へ楯籠候処、従薩被差続候、永事者(→親が脱字と思われる。親永事者)、親類尽同心を以、多久河内江引入候、親人は自豊州少々加勢候由候へ共、難儀之通申来候、就其肥後国衆なとへも雑説無心事候由、申散候矣、
一、対馬波多親被仰談到平戸被差懸候、数度親へ異見雖被申候、如此候条、従是も寄々衆被差出、ひう、はい方両城切崩、敵弐百餘討取、被得大利事、
一、右之趣細書相認、芸州迄差遣候ツ、自然遅参もやと、任幸便、又々申遣候、其外筑後境目なと少も無替儀候、爲存知候、恐々謹言、
 卯月十七日  信生 (御判)
   成十  万いる  旅所   」


佐賀県史料集成 第二十六巻 『有馬雑記餘事』 P.268〜269


【簡潔意訳】:

鍋島直茂曰く「薩摩軍は豊後へ出兵するにあたり、当方に速やかに人質を出すよう伝えて来た。そのため、こちらも準備や起請文を調え、秋月種実から人質が当方へ送られて来た事でもあるので、4月6日、秀島を島津氏へ人質として差し送った。ここまでしたからには島津殿に異存はないだろう。島津氏との話し合いは、今まで意見の相違があり、落着していない。島津氏が増長するのなら、当方にも固い覚悟がある。この件に関しては、十右衛門、気遣いは無用じゃ。

一、上方への人質としては千布惣右衛門を送った。到着したら安国寺恵瓊殿の御指南の件を千布へ細かく申し聞かせて、その方は早々に佐賀へ帰ってきて欲しい。またその方の今の状況を手紙で知らせてくれ。

一、筑紫広門と高橋紹運との間で人質交換の相談がされている事は、反島津となる筑紫広門と、親島津の秋月種実との関係が、こじれるという事だ。推して知るべしという所だ。

一、隈部父子の事だが、隈部親泰は長野の砦に籠城し島津氏へ反抗している。隈部親永は龍造寺家中みなの同意のもと、多久の河内に匿い、保護している。隈部親人は大友氏から少々加勢をもらっているようだが、島津氏への抵抗が困難な状況だと知らせが来ている。肥後国衆たちの動向にも根拠のない噂があり、不安定だ。

一、唐津の波多親が、平戸松浦氏へ合戦を仕掛けるという。数度、制止をしたのだが、この如くである。我々からも、最寄りの軍を加勢に出した。そして日宇、早岐の両城を切り崩し、敵200余を討ち取り、大勝利を得た。

一、これらの詳細は書状に認め、毛利氏へ差し出した。もし到着が遅れるといけないので、この様にそなたへ書状を書いて送った次第だ。その他は、筑後境目の事などは少しも変わりは無い。上記お知らせしておく。

(天正14年)4月17日、鍋島信生(直茂)  
成富十右衛門へ  」



【考察】


▼島津氏が「豊州入」豊後侵攻を計画するにあたって、龍造寺氏に人質を差し出すよう求めた事が分かる。つまりこの時、関係性として龍造寺氏は島津氏に従属していた。

▼島津氏に龍造寺氏が人質を送るにあたり、秋月種実が仲介の骨折りをしていた。島津氏の要請について龍造寺氏がスムーズに従うように、秋月氏から龍造寺氏へ人質まで送っていたことが分かる。仲介者・秋月氏の人質を召し置いた事で、龍造寺氏が島津氏に人質を送ることになった点は重要である。

※ここの辺りからも、龍造寺氏は島津氏に対し、強気の姿勢であったことが考察できる。同時に『島津四兄弟の九州統一戦』で検証された、反大友・親島津の秋月氏の暗躍ぶりが窺える。

▼沖田畷敗戦後、島津氏に実質従属した龍造寺氏だが、「種々違目之義、無正躰候条、熟談之一着無之候」島津氏との話し合いの中では意見の相違があり、良好な関係ではなかった。

▼当該書状は、鍋島直茂が、秋月種実、高橋紹運、筑紫広門、隈部親永、隈部親泰まど、沢山の同時代の武将について一度に言及しており、その点で興味深い。

▼のちに肥後国衆一揆で誅罰を蒙る隈部親永は、この時期、龍造寺氏によって佐賀県多久市に匿われていた事が分かる。息子の親泰は島津氏に対し、出城に籠って抵抗を試みており、『島津四兄弟の九州統一戦』P151、新名一仁氏曰くの「(天正14年10月、田尻鑑種や黒木実久から肥後の島津氏に対し、筑後への出兵の要請がなされたのは)龍造寺氏が大友勢を排除するために仕掛けた策略と見える 」「龍造寺政家が『幕下』に入るとまで言って島津氏との和平を急いだのは、島津氏を大友氏との戦いに引きずり込むためであろう」との考察をベースとして考えると、父の隈部親永のみの身柄を保護し、息子の親泰が肥後で島津氏に抵抗を試みている点は、龍造寺氏が隈部氏を陰で支援することで、島津氏の北上を遅らせようと図ったのではないか。
この時、抵抗する隈部氏へ若干大友氏から加勢がきていた点も興味深い。大友氏も龍造寺氏もこの時期、島津氏の北上を遅らせることを図っていたとも考えられる。


▼佐賀側では殆ど知られていない、佐世保市での「井手平城の戦い」だが、この書状内容と、先日ブログに紹介した波多親の書状から、「従是も寄々衆被差出、ひう、はい方両城切崩」はつまり、「井手平城の戦い」と比定できる。※この点は、郷土史上新たな指摘かと思われる。

さらに、長崎県側の解説では、「大村氏・波多氏・有田氏連合 VS 平戸松浦氏の領地争い」とされる所、波多氏への加勢として龍造寺軍も参加していた事が判明する。※この点も一次史料を根拠とした、新たな指摘となるかと思う。そして、早岐の城を井手平城と比定すると、同時に日宇のどこかの城も、落城していた事が分かる。200名余の戦死者がでている事で、大規模な軍事衝突であった事が分かる。



以上です。



佐賀戦国研究会










posted by 主宰 at 01:08| 佐賀 ☀| Comment(0) | 佐賀戦国研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする