2016年09月06日

★水野伍貴先生による「八月十日付黒田如水宛鍋島直茂書状」考察


高橋陽介さんの伝手で、『秀吉死後の権力闘争と関ヶ原前夜』(日本史史料研究会研究選書10、平成28年5/20発行)著者、水野伍貴先生に「八月十日付黒田如水宛鍋島直茂書状」への御考察を頂きました。

★『秀吉死後の権力闘争と関ヶ原前夜』は、こちらの日本史史料研究会様HPから通販ができます:http://www13.plala.or.jp/t-ikoma/page032.html 

皆様ぜひ読まれて下さい!

写真 2016-09-05 3 10 20.jpg

それでは、水野先生の考察を共有します。

まず例によって書状原文を記載します。

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【八月十日付 黒田如水宛 鍋島直茂書状 原文】

★『佐賀県史料集成古文書編 第21巻(佐賀県立図書館・昭和55年10/1発行)』P.195
(頭注に『伏見落城ノ報』 『直茂上東延期』とあり。)

『川崎氏所蔵文書』一号

八月十日付 黒田如水宛 鍋島直茂書状


従上方到来候、ふしミ城去朔日、火矢にて被焼付、手々に取くつし、城中之衆皆々被相果候由申来候、貴邊へも其聞へ可有御座候へ共申入候、此方手前之仕寄無心元存、又ハ増右・長大・安国寺よりいそき可罷上通、連々預御状候へ共、于今延引、不審之様二承候間、罷上候ハて不叶儀と存、今日こゝもと罷たち候處二、我等もの右之落去見申候て罷下、夜中二参着申候二付て、罷上儀先以さしのへ申候、相易儀共候者、御入魂可忝候、恐惶謹言、
      鍋加守
 八月十日  直茂 (花押)
 如水様
   人々御中  』

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「八月十日付黒田如水宛鍋島直茂書状」について




背景として、鍋島軍を率いる勝茂は消極的ながらも西軍に参加し、鍋島氏は西軍の立場にあります。
一方で黒田氏ですが、黒田長政は会津征討に従軍中であり、また、如水は九州で松井康之や清正とネットワークを構築しているように東軍の代表的な大名といえます。

書状の冒頭で、伏見城の落城について報じています。「貴辺へも其聞へ可有御座候へ共申入候」と前置きしてはいるものの、伏見城を攻めている西軍側から入ってくる正確な情報として、(自身の価値を)売り込んでいるように感じられます。

増田らの度重なる上坂の催促が来ていながらも、応じることなく、「不審之様ニ承候間、罷上候ハて不叶儀と存」と言っていながらも、伏見城落城を口実に今回も上坂を延引しております。なお、西軍が秀頼を奉じたことは、東軍側の諸将ですら軽視できるものでは ありませんでした。(例:越後堀氏、杵築城代松井氏など)

形式的に(西軍を)認める態度をとるが、いずれ家康が盛り返すという見通しから、西軍の要求は無視をするというのが東軍諸将のスタンスです。何度も西軍に上坂を催促されながらも応じていない直茂の行動はそれに通じるものがあり、直茂は西軍の上坂要請を応じていないことを如水にアピールしているように感じられます。

東軍の代表的な大名である黒田氏に、上方の戦況を報じたり、 上坂要請に応じていないことを伝えていることから、如水の構築した九州のネットワークに加わりたいという意図が直茂にあったのではないだろうかと感じられます。     』


以上です。
水野先生、御多忙の所有難うございました!

レポートは続きます。





posted by 主宰 at 00:44| 佐賀 ☔| Comment(0) | 佐賀戦国研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする