2018年04月08日

★ご報告と、今後のお知らせ。



★2018年2月25日に開催された「第3回うれしの温泉 忍者フェスタ」にて、
佐賀戦国研究会 代表 深川が嬉野市にまつわる忍者調査報告を行い、三重大学の山田雄司教授、および歴史家、中西豪先生の判定にて3名の人物が「忍者認定」を受けました。


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詳細はこちら:「うれしの温泉 忍者フェスタ」公式HPに掲載されています。




★また、3月25日には、長崎県大村市にて長崎街道に関するシンポジウムが催行され、会場は定員を超える盛況となりました。主催:大村純忠revivaLぷろじぇくと様も、ほっとされた事と思います。
今後の御活動にも、注目しております!


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★さらに、嬉野市の忍者調査により副次的に「戦国時代の肥前田原氏」の歴史的存在感が明らかとなりました。
3月5日に行った研究報告会の一部を、YOUTUBEにUPしておりますので、佐賀の戦国時代の歴史に興味がある方は是非ご視聴下さい。田原氏の活躍を追うと、龍造寺隆信の隆盛期から、全盛期、沖田畷敗戦、文禄慶長の役、関ヶ原の戦いに至るまで、龍造寺鍋島史の概説に繋がっていくという、興味深い結果でした。





(※訂正:話中、龍造寺の武将「勝屋勝一軒」が「しょうや しょういっけん」と呼ばれていますが、正しくは「かつや しょういっけん」です。大変失礼致しました。)




――――★【お薦め書籍】――――



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一次史料にみる島津の関ヶ原シリーズ@ 『豊臣秀吉の死去は朝鮮在陣の島津義弘らにどのように伝わったのか』 高橋 陽介 著 2018年2月発行。


豊臣秀吉の最晩年頃の様子が良くわかります。多数の一次史料が紹介され、或る意味貴重な本といえます。日本史ファンには必携の一冊! 最近ではTVでもお見掛けするようになった高橋陽介氏ですが、今後、島津の関ヶ原シリーズを順次刊行されるとの事です。今後の内容にも期待しております。

★書籍は通販のみの販売との事です。興味がおありの方はぜひ、高橋氏のHPからご購入下さい。
→ http://takahasiyo.blog.fc2.com/blog-entry-125.html


★4月23日には歴史家・乃至政彦先生と、高橋陽介氏が共著で、『天下分け目の関ヶ原の合戦はなかった: 一次史料が伝える“通説を根底から覆す"真実とは』という本が、河出書房新社より出されます。
こちらも併せて要チェックです。


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(↑ 鍋島直正公像と、高橋陽介氏。)




――――【佐賀戦国研究会 今後の予定】――――



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【定例会】佐賀戦国研究会・座談会

連続テーマ「隆信公御年譜を読む」講師:中西豪

第三回
■日時: 5月27日(日) 13:00〜16:30
■場所:佐賀市市民活動プラザ(白山)4階 
http://www.tsunasaga.jp/plaza/access.html
■参加費:各 300円(会場代として)
■事前予約不要。とび込み参加歓迎です。




★歴史企画『幕末維新を再検討する −西郷、江藤、会津龍造寺ー』

■日時:2018年10月28日(仮) 13:00〜17:00頃まで
■場所:佐賀大学を仮定
■講師:大山格先生 橋本靖明先生 長南政義先生 中西豪先生
■ゲスト:円城寺雄介氏
■広告デザイン:鬼塚美津子氏
■参加費:1,000円


鋭意企画中です。明治維新150年の節目、素晴らしい講師陣にお越し頂けることになりました。

詳細は追ってお知らせ致します。どうぞお楽しみに!







posted by 主宰 at 22:55| 佐賀 ☁| Comment(0) | 佐賀戦国研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月20日

★龍造寺隆信による遠隔地支配の実情について


過去記事にご質問の書き込みを頂き、返信をお書きしたのですが、龍造寺隆信による遠隔地支配の実情について、参考になる先行研究情報を含みますので、全体共有したいと思います。

何らか、皆様の参考になれば幸いです。

※ちなみに、当会が半年先まで何かしらの企画作業を抱えており、ご質問へは中々応答が難しい状況です。
ご質問を書き込まれた場合、かつ内容が込入る場合、返信ができない事が多いと思います。
この点何卒ご容赦下さい。本当にすみません。


――――――――

★ご質問内容:


「こんにちは。失礼ですが、お詳しいのではないかと思い、お聞きします。

龍造寺隆信は五州二島の太守と呼ばれ、肥前・筑後はもとより筑前・肥後にも軍勢を進出させ、一定の範囲は支配したと言えると考えています。ところがその他、豊前と壱岐、対馬については、どの程度の関わりがあったのでしょうか。例えば豊前は、確か隆信の弟の信周が派遣されたといろいろなところで見かけますが、これは同時代資料などでも読み取れることなのでしょうか。

また、壱岐や対馬が従ったというのは、例えば龍造寺が将兵を送って支配したということはないと思いますが、壱岐や対馬の将兵が隆信のもとに参陣したのでしょうか。それとも外交上の関係だけでしょうか。
大変恐縮ですが、上記についてご存知の事実があれば、ご教示ください。「信憑性」についても言及していただけるとありがたいです。」  


  yamada_richard 様より(2018年01月16日 09:09)




★ご返信内容:


「こんにちは。『信憑性』との事で、できるだけ先行研究からご紹介します。

<一>

「龍造寺隆信の軍事的構成は『かり武者』の姿にあるといわれる。その権力体制は『起請文関係を多用し、国人衆と盟友関係を設定し、信義的倫理観をもとに一括的に軍事力化する方式であった。しかも、起請した国人に彼と盟友関係にある国人に相互に起請させ、横の連合体を構成させ、彼らを「国方衆」・「方向衆」として把握し、その軍事力をもとに農民夫役を徴収した』(森山恒雄氏『龍造寺隆信』(別冊歴史読本一九七七年夏三号)という。」

『北部九州の戦国大名領下の村落とその支配 −大内・龍造寺氏の権力構造論序説−』太田順三 氏 『研究紀要』佐賀大学教養部編 Vol.15 (1983年3月)より。


上記を踏まえまして、

<二>

「一、対龍造寺隆信・同政家、為長野式部太輔統重、当末不可存別儀之事、
 一、就国家、統重存分共候者、聊無隔心可致密通之事、
 一、従隆信・政家、如何体之密々之儀被仰聞候、口外他言有間敷之事、
    右、條々於相違者、(中略)別而、当国鎮守宇佐八幡大菩薩、殊、当庄大分八幡大菩薩、(中略)
   長野式部太輔 統重 判  
 天正九年十二月十三日
 龍造寺殿」

『永野御書キ物抜書』堀本一繁氏翻刻 148号文書『戦国の九州と武雄 −後藤貴明・家信の時代−』 武雄市図書館・歴史資料館 編集発行 (平成22年2月)より。

→ 豊前の国衆・長野氏から龍造寺氏宛の起請文です。

敬称の程度から「完全な被官化ではなく」協力的従属の意を伝えたものと見えます。西肥前、筑後、肥後の国衆の起請文にこういった類例が多数あり、<一>の解説のように、東肥前から遠い筑前、豊前の国衆とは起請文で従属関係を約すのみで、直接的な実効支配はできていなかったと考えております。その為、仰る所の「一定の範囲は支配した」その内実は、起請文の「交わし」による協力的従属関係があったに過ぎず、非常に脆い結びつきであったと思います。

「かり武者」といっても、管見の限り、遠隔地から軍勢を動員した具体的なケースを資料で余り見かけません。対馬の宗氏についても少弐政資の時代までは少弐氏の督促で筑前や肥前に出兵していますが、龍造寺氏が軍事や貿易関係で直接動かしたような記述を見たことはありませんし、壱岐も、どちらかというと松浦平戸氏、松浦鎮信の支配下だったように見えます。

龍造寺信周についてですが、後世の編纂史料『直茂公譜三』中、天正九年、

「隆信公、豊前国為御征討五万騎を被卒、舎弟安房守信周を監軍にて先博多迄御出陣有、(中略)豊前へは信周に軍兵を副て被指向、(中略、高橋元種が参陣し、)当国の大名城井常陸助鎮房・長野三郎左衛門鎮展・時枝平太輔を初とし、規矩・田川・中津辺の輩敢て一戦にも不及竜造寺に相従う、信周不戦して豊前国を治め、少時在国あり、政務を司り偖帰陣しけり」

とあり、<二>の一次史料である起請文と、年次は一致します。

遠征に際し信周は戦っておらず、ドミノ倒しのように豊前の国衆が続々龍造寺氏に帰参したようです。そして政務とは、上記に踏まえたようにまさに豊前の諸氏と縦・横に起請文を交わす・交わさせる作業と考えられます。信周は少しの間豊前にいて、帰陣(おそらく隆信が本陣を置いていた博多へか)とあります。少しの間いた程度ですので、とても実効支配ができていたとは思えません。

さらに同時代資料としては、天正十二年三月二十六日、沖田畷合戦直後の時期の、龍造寺信周の書状写が前掲の『永野御書キ物抜書』91号文書としてあり、文中、
「此表之儀、御気仕有間敷候」→ 信周は本国肥前や・鍋島氏が管轄している筑後には居ない事が見えます。
「返々、御左右可承ために人を進候、先にも一人申付候、未帰着候、余無心元候」→実はこの2日前、沖田畷合戦で隆信は戦死済です。速報であるはずのその知らせが、2日経ってもまだ届かない距離に、信周は居たことが分かります。

これらの事から当時信周は、隆信の代官として、肥前筑後から遠い「此表」→筑前のどこかに駐屯していたのではないかと考えます。


以上にて、ご容赦下さい。」


  佐賀戦国研究会 主宰 深川 より(2018年01月20日 02:28)





【2018.1/20 19:31 ★追記】

「隆信の軍事力は多数の国人層を配下に従えたことで強大化したが、その主従関係は、領国の周辺になるほど薄弱であった。また、領国の急激な膨張に、領国支配の強化が即応しない面があった。なお、家文書としては『竜造寺文書』がある。これには隆信宛の起請文が多数あり、竜造寺氏の勢力範囲の広さを示している。」(佐伯 弘次 氏記)

『戦国武将・合戦事典』峰岸純夫・片桐昭彦 編 吉川弘文館 発行(平成17年3月)P215より。

→佐伯先生も上記の様に解説されています。










posted by 主宰 at 03:10| 佐賀 ☔| Comment(0) | 佐賀戦国研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月05日

★2018年の企画と予定の告知です。


前回の振り返りに続きまして、
今年2018年度の企画のお知らせです。

まずは三つ、


一、

【定例会】佐賀戦国研究会・座談会

連続テーマ「隆信公御年譜を読む」講師:中西豪


第一回
■日時: 1月28日(日) 13:00〜16:30
■場所:佐賀市市民活動プラザ(白山)4階 
http://www.tsunasaga.jp/plaza/access.html
■参加費:各 300円(会場代として)
■事前予約不要。とび込み参加歓迎です。



第二回
■日時: 3月18日(日) 13:00〜16:30
■場所:佐賀市市民活動プラザ(白山)7階 中会議室
http://www.tsunasaga.jp/plaza/access.html
■参加費:各 300円(会場代として)
■事前予約不要。とび込み参加歓迎です。



過去一番初回の収録のみ、YOUTUBEにUPしております。
 

現在は弘治二年まで読み進んでいます。途中から参加されても十分面白いと思います。龍造寺隆信公の一代記・軍記物として内容も興味深いですが、中西豪先生による注釈も魅力の一つです。

ぜひお気軽にご参加下さい。



二、

「第三回 うれしの温泉忍者フェスタ 2018」
■日時: 2月25日(日) 11:00〜16:00
■場所:嬉野市体育館
■主催:NPO法人 九州忍者保存協会  共催:嬉野市

★CM動画



★↓クリックするとチラシが大きく見れます。


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肥前夢街道忍者村様からの御依頼で、2017年9月以降から協力させて頂いております。
嬉野市の忍者に関する資料調査及び「嬉野に忍者はいた!」としてメディアを賑わせた細作「田原安左衛門」とその一族について、新たに発見された田原氏系図を基に、研究報告を致します。報告者は佐賀戦国研究会代表、深川です。

蓮池藩の「田原安左衛門」とは一体何者なのか? その解説と共に、嬉野市に忍者はいたのかどうか、忍、隠密、細作、間牒、妖術などのキーワードを踏まえ、疑惑のある人物や古武術を多数会場で紹介し、当日ご臨席の三重大学人文学部教授・山田雄司先生、及び歴史家・中西豪先生に「判定」して頂く形式です。

街中では楽しいイベントも開催されていますので、温泉あり、有名な温泉豆腐あり、お祭りあり、歴史のシンポジウムあり、当日はぜひ嬉野市へお越し頂き、休日をお楽しみ下さい。


★2016年のフェスタの様子




★肥前夢街道忍者村さんと言えばやっぱりこの曲!





三、

『異文化の情報路 長崎街道 長崎街道は長崎から近代を発信した 
ー大村純忠・天正遣欧少年使節から長崎街道は生まれたー』

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★参考動画『大村の道』


■主催:大村純忠revivalぷろじぇくと
■日時:平成30年3月25日(日) 13時〜16時 (途中休憩あり)
■場所 :市民交流プラザ プラザ大村ホール
■入場料 前売券 800円 当日券 1000円

★3講師:

筒井ガンコ堂
(雑誌「太陽」編集者。作家池波正太郎の担当編集者。佐賀新聞社で文化部長・論説委員。現在、食に関するエッセイなどを執筆。)

遠藤 薫
(出版社のぶ工房編集者。九州街道シリーズ長崎・平戸・唐津街道等執筆。)

稲富 裕和
(日本考古学協会員。新長崎学研究会代表。大村市文化財専門職員として黒丸.富の原遺跡調査。シンポジウム「謎のキリシタン大名大村純忠」等担当。


【内容と目的について】

異文化の窓口である長崎。街道は長崎から世界を発信しました。その礎を築いたのは、戦国時代の領主大村純忠です。自領の港を海外貿易港として開き、その後の長崎の繁栄を築きました。
今回大村純忠と日本初の公式使節団である天正遣欧少年使節の功績を、江戸時代の長崎街道と合わせて、新たな視点から捉えて、浮かび上がらせ顕彰します。当プロジェクト第1回目のイベントとして、大村の歴史を良く知らない方々にも、自分達や現代に通じたわかりやすい・面白い内容になっています。
佐賀県と福岡県から著名な講師をお招きして、外側からも大村を語っていただきます。
今までにない興味深い話を聞いて、大村の歴史を再認識してもらう為に、稲富裕和先生が考えてくださいました。チケット販売については来年1月末頃からを予定。販売方法についての詳細は、後日お知らせいたします。」

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戦国ゲーム上、三城城の大村純忠公といえば数値上凡庸なイメージがありますが、これが実は、佐賀の史料『直茂公譜考補』から見ても、非常な戦上手だったことが評価されています。敗れた際に龍造寺隆信が最上級の怒りの表現にて「もっての外御立腹」したとあり、龍造寺軍を奇襲で乗り崩し、鮮やかに引き上げていった事は全く知られていません。ゲーム上、武力は100点中80以上あって然るべき歴戦の闘将です。結果として領土を保持し、大村藩成立の基礎を築いたその政治手腕を含め、改めてこれから再評価されるべき戦国武将です。プロジェクト趣旨に賛同し、佐賀戦国研究会も協力致します。

今回は第一弾シンポジウムとして、長崎街道を軸に歴史が紐解かれるそうで、楽しみです。


大村純忠revivaL ぷろじぇくと様の告知はフェイスブックで随時更新されています。ご確認下さい。





引き続き後日、佐賀戦国研究会主催の企画を告知致します。




posted by 主宰 at 23:29| 佐賀 ☁| Comment(0) | 佐賀戦国研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする